教育

March 14, 2010

高校生活指導184号


 紫と緑というなかなか斬新な表紙の
 「高校生活指導184号」が手元に届いた。
 
 何度か執筆はしてきたのだが
 今回は編集に少しだけ関わって
 編集後記も書いたし、
 座談会の末席に名を連ねたので
 表紙に名前も出ている。
 もし興味のある方は是非、
 お手にとって頂きたい。
 Amazonではまだ最新号が出てないようなので
 全国高校生活指導研究協議会のPAGEに
 リンクしておこう。

 さて、内容はと言うと
 第一特集が「他者に応答するシティズンシップ教育」
 そうそう、このわからなさが良くも悪くも高生研。
 なんのことなの?と聴かれても私もよく説明できないので
 読んでください(笑)

 第2特集は「高校生が自分のこととしたテーマ」
 これは、私が「社会のいろんな問題に、高校生が
 当事者性をもって臨むために必要なことを
 教えて欲しい」と言ったことから生まれた特集です。
 自分のこととして考えるためにふさわしいテーマって
 なんだろうという問題意識の下の特集です。
 
 私の担当は「春、つながる、つながりなおす」という
 センセ-のワザ。
 あと、改めて書き連ねるとなんとも非道な
 観劇観ライヴ日記が載ってます(爆)

 よかったら感想などもくださいませ。
 よろしくです。
 

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February 21, 2010

実践分析会


 今月の実践分析会は、小さな高校の就職係としての奮闘記。
 11月まで、一人も内定が出ていない!と
 嘆いていたのを聞いていたので
 現在の、11/15という数字に感動。
 この数ヶ月、ホントに奮闘したんだなぁ。
 もちろん数字だけではなく、
 就職希望者15人、それぞれに寄り添った指導と支援が
 実を結んでいるのだと、つくづく感じる実践だった。

 就職指導といえども、
 切り取って考えることは出来ず、
 生徒の生育歴や、パーソナリティーや
 自己認識が深く関係していて、
 付け焼き刃の指導ではどうにもならないのだ。
 さまざまな困難を抱える僻地の小さな学校で
 繰り広げられる物語の数々は
 掛け値無しに爽やかな感動が感じられた。

 いつもは結構ダメ出しをする役なのだけど
 今日は、素直に「すごいなぁ」としか言えなかった(笑)

 いつも学習会の後は飲み会なのだけど
 今日は3月いっぱいで沖縄を去ってしまう
 琉大の院に通っている高生研仲間が
 自宅で手料理を振る舞ってくれた。
 美味しいご飯と美味しいお酒で
 最後には三線などもつま弾きつつ
 楽しい夜を過ごした。
 琉大の4回生も参加してくれて
 フレッシュな意見も聞けたので
 とても有意義な会だった。

 ・・・と酔っぱらいなので
 表現が月並みですな(笑) 

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February 20, 2010

国語指導法研究会


 友人の同僚が頑張っているので
 国語指導法研究会なるものに参加していて
 今日はその研究大会。
 何故だか発表することになって
 昨年度やった『こころ』の授業について話した。

 ひとりで講義をする自信がなかったので
 生徒に発表させて班討論で進める形をとった話。
 もう大分前のことなので、
 資料を改めて見直したのだけど
 なかなか頑張ってたんだなぁ
 (生徒も私も)と感心。
 最近まともに授業していないので
 ちょっと忘れていた感覚が戻った感じだった。

 自己確認できて良かった面も大きいのだけど
 こういう研究会でいつも思うのは
 嘘くさい、というか
 褒められるだけ、というのが
 あんまり学びにならない気がする。
 やっぱりその点、高生研はすごい。
 怖いけどね。

 今年はとうとう全国大会でレポーターすることになりそうです。
 8/6~8、北海道です。
 興味と時間がある方は、是非。

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February 13, 2010

沖生研セミナー@沖縄国際大学


 小中の先生方の生活指導の研究会である
 全生研の沖縄支部の春のセミナーに参加してきた。

 今回の講師は、大分の溝部清彦先生。
 全生研のアイドル的存在(だと思う)の
 イケメン小学校教師である。
 (でもお年を聞いてびっくり!むっちゃ若く見える!)
 一昨年の大分大会の時に、発売されたばかりだった
 『子どもをハッとさせる教師の言葉』が
 書籍コーナーで大フィーチャーされてたのだが、
 なにより驚いたのは、著作者近影。
 これは、一見の価値有り!こんな小学校の先生いるの?!と
 驚くこと請け合いである。
 今回伺ったら、なんと1時間かけて撮ったのだとか・・・
 流石のビジュアル系である。
 お話の中でもあったのだが、教師のビジュアルは大切である。
 私も常々言ってるのだが、教師はカッコ良くないといけない。
 ダサイ格好の人間に、服装をとやかく言われても
 「センス無いくせに」としか思われないし、
 ちょっとギャル系の女の子に気に入られるには、
 見た目がお洒落なことはマストだと思う。
 持論と同じことを言われたのは初めてだったので
 ちょっと嬉しかった(^^;;;

 今回は、教育学部を受験する生徒も二人参加。
 受験面接指導の中で、
 私が小学校の話を知ってる理由を聞いたので
 沖生研の話をして、セミナーの紹介をしたら
 行きたいというので、連れて行った。
 午前中だけだったが、
 ソフトなことばで生徒同士を繋げていく実践や、
 小学校のリアルな実態に笑ったり驚いたりしながら、
 確実に何かを掴んだようだった。

 さて、今回、感じたこと。
 普通のことをやっていたら、普通のことしか起こらない。
 普通と違うことをやれば、そこに普通とは違うことが生まれる。
 公民館で、子どもが主体の、
 地元の人を千人集めるお月見会をやった話は
 地元と繋がって子どもを育てる、という
 今の学校がとらなければならない姿勢の
 プロパー的な実践だと言えるだろう。
 公民館に、建設会社の方が
 特設ステージを作ってくれる話なんかは
 北山高校での私の師匠の実践を彷彿させられた。
 そして、大切なことは、
 そうやって起こるドラマ、
 あるいは日々の生活の中で起こるドラマを
 言語化させることである。
 
 溝部さんは、生徒に何か変化が起こった時には
 必ず作文を書いてもらうのだそう。
 普通には書けない子どもとは対話をしながら
 ことばを引き出すのだそうだ。
 「その時、どう思ったの?」
 「それは何故かな?」
 「もしかして、こんな気持ちだった?」
 そうして出て来たことばが詩になると
 予定調和ではない生きたものができあがる。

 また、様々な場面で、
 その状況を「国語的な問題」にするそうだ。
 男の子が、荒れて、作文用紙を叩きつけ、
 鉛筆を黒板に投げつけた時に
 「今の行動にはどんな意味があるのでしょうか?」と
 班で答えを考えさせ、本人に答えを聞く。
 また「ほうきを振り回して暴れていた前の行動と
 今回を比べるとどうなっているでしょうか。
 1,良くなっている
 2,酷くなっている
 3,変わらない」という質問もしたのだそう。

 荒れる本人は、自分の行動の理由を
 上手くことばにすることは出来ない。
 また、行為そのものではなく、
 子どもの変化の中に成長を見つけるのも
 大切なことである。
 そして、その問題の子だけでなく
 周りの子どもたちも、生活文脈の中で
 さまざまな人の思いを読み取り、
 言語化する能力を身につけられる。

 沖縄の子どもは学力が低いと言われるが
 それは言語能力が十分でないことが
 いちばんの問題だろうというのが
 大半の見方である。
 ウチのクラスの生徒にも
 面接準備シートの
 「本学の志望理由」に
 「塾でバイトしている大学生が
  楽しいと言っていたから」などと
 平気で書く医学部志望者がいる。
 ことばにされた意味しか考えず、
 その質問が発せられている理由や目的を
 読み取ろうとする意識がないのだ。
 そのようなことばの貧困さは
 生活の中でことばを軽視していることから
 生まれていると思う。

 沖縄の子どもの生活経験は
 十分豊かであるが、それを言語化する練習が
 圧倒的に少ない。
 
 国語力は、やはり生活文脈の読み取りと
 密接に関係している。
 毎日の授業を俳句にしてまとめる実践を
 真似しながら、
 春からの新一年生の指導に活かしたいな。
 
 

 

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January 09, 2010

国語指導法研究会

 国語科にとても優秀な同僚がいて
 彼が指導法研究会に関わっているので
 誘われてちょろっと参加している。

 今日は、2月に研究授業をやると言うことで
 その目的や問題意識について話を聞いた。
 新指導要領に則って
 総合的言語能力(言語的総合力)を取り扱った授業。
 私は勉強不足(というかする気がない)ので
 指導要領に全然詳しくないので勉強になった。
 彼は教育学部出身で、
 指導要領をとても大切に考えている。
 私は文学部出身で、
 どちらかというと感覚的に授業を組み立てる。
 だから「ぜんぜん指導要領とか考えたことない」と
 平気で言うのだけど、
 彼は「でも、ちゃんとここに関連してるよ」と教えてくれる
 ありがたい存在である。

 で、その指導要領が(3年後かな?)変わるのだけど
 それを先取りして、自らの現在の言語活動や
 地域における言語の特色、個として使っている言語から
 伝統的な言語文化を学ぶという試みである。
 教材としては万葉集の狭野弟上娘子の和歌と
 恩納なびーの琉歌だそうだ。
 彼は私と同じ3年担任なので、
 1年生のクラスを借りて授業するという。
 人の授業を見るのはとてもためになるので
 今から楽しみだ(^-^)

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November 08, 2009

北村薫記念公演@全国高等学校国語教育研究連合会


 5日・6日と全国高等学校国語教育研究連合会の
 神奈川大会に参加してきた。
 
 去年も東京大会に参加させて頂いたのだが
 今年は記念公演が北村薫先生と言うことで
 絶対に行きたかった。
 3年担任をしながら、この時期2日学校を空けるのは
 とても気が引けたのだけど、
 北村先生のお声を直接聞ける機会を
 逃すなどと言う選択肢は私には無かった。
 
 北村先生のお話は、
 きちんとまとめておきたいと思うのだけど
 この機会に読み直そうと持っていった『リセット』を
 再読して、とてもおだやかな、幸せな気持ちにしてもらった。

 何度も読んだので、ストーリーは身に染みている。
 それでも読む度に夢中になってしまうのは
 お話の中にもあったのだけど、
 (ちなみに、今回はただの講演形式ではなく
  スタッフのお二人の先生との対話形式)
 多くの美しい芸術作品(文学だけでなく
 音楽・映画・絵画といった)のエッセンスが
 物語の随所に散りばめられていて
 それがなんとも心を豊かにしてくれるのだと思う。
 
 この世には美しい芸術がほんとうにたくさんあって
 それらをすべて享受することは
 たぶん不可能だ。
 それでも自分が美しいと思うものに
 できるだけたくさん触れられたら
 それは、とてもしあわせなことだろう。

 そうして、そのための指針をくれる先達は
 なによりも感謝すべき、愛すべき存在だ。
 
 北村先生は、間違いなくそのお一人だ。

 今日、『リセット』の中でみつけたことば。
 「届かない、手に入らないというのは、
  生きていれば誰にでもついてまわることだと思う。
  <中略>
  …でもね、それはだからもう…
  何もかも、どうでもいいというのとは、逆なのよね。
  …だからこそ、なのよね、きっと」

 この数年、私は「届かなかった手に入らなかった」ものばかりを
 悔やんでいたのだけど。
 だからこそ、なのだ。
 そこから、どこに進むかが、生き方を左右する。
 だからこそ。

 何度も読んだハズなのに、
 今の私に大切なことが埋まっている。
 だからこそ、北村薫の作品は
 私の支えなのだ。
 
 
 
 

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September 19, 2007

県弁論大会

 県弁論大会の運営に関わるのももう3年目。
 今年は集計係のチーフの先生が育休に入り
 なんと私がチーフ。
 初めてのメンバーに説明しながらなんとか乗り切る。
 みなさん、コンピュータ操作の達人だったので
 何の苦労もありませんでした(^-^)

 苦労したのは、もうひとつ今年から引き受けた
 審査員の方々との調整。
 張り切って3ヶ月前に内諾を取り付けたのに
 様々な理由で、なんと三人もの方が参加不可能に・・・
 内諾、早すぎたかも(爆)
 と、焦りつつ、代役を紹介していただいたお一人以外は
 自分で探すことに・・・
 
 一人は、初任の私立高校で教えていた
 現在フリーで活躍中のアナウンサー吉田くんにお願い。
 快く引き受けてくれて、本当に助かりました。
 早速ブログも書いてくれてるので、
 リンクしておきます(^-^)
吉田鉄太郎の日記

 彼が高校三年生の時、校内弁論大会で
 制限時間の7分を大きく越えながら熱く語っていたのが
 マスコミで働く夢だった。
 あのときの体育館の暑さ、そしててっちゃんの熱さ、
 今でも懐かしく思い出す。
 そんな彼が自分の意見を表明することの大切さを
 語ってくれているブログを読むと、
 なんか胸が熱くなる。
 ふとしたハプニングからだったけど、
 こういうかたちで出逢いなおせて本当によかったなぁ、と思う。

 もうお一人は、去年もウチの学校を
 非常勤で助けていただいた大先輩にお願いした。
 10月から新しいお仕事があるということでお忙しい中、
 引き受けてくださって、本当に感謝。
 もちろん弁論にも一家言ある方なので
 専門委員長も「パーフェクト!」と誉めてくれた人選だった。
 北部から朝早く駆けつけてくださって、
 またしても頭が上がらなくなってしまったが
 喜んでこれからも私のできることでお返ししたい。

 さて、弁論の結果はと言うと、
 今年は、うちの代表も凄く頑張っていたのだけど
 緊張からか失敗してしまい、予選通過ならず(^-^;;;
 でも、1年生なので、次の機会に期待、である。
 他の弁士の弁論は・・・
 正直に言うと、仕事が忙しくてゆっくり聞けなかった(爆)
 これから作るDVDでチェックだ(爆)
 
 

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August 15, 2007

ことば あふれ出る教室~横浜市立盲学校~

 司書教諭研修で、いろんな映像が紹介される。
 今日のヒットは、NHKのにっぽんの現場で
 5月に放映されたらしい横浜市立盲学校の様子。

 初めて知ったのだが、点字には漢字がないそうで、「音」しか分からないため、
 視覚障害のある子どもたちは、理解に時間がかかるのだそうだ。
 そこで、道村静江先生は、小学校4~6年生の教室で
 小学生が習う漢字1006字を学べる教材を作り、
 習得を目指している。
 その漢字の学習の様子は、理想の授業に見えた。
 「馬」という字を学ぶとき、その字形を口で説明していく。
 「縦線に横線三本・・・」と、すっかり覚えているのか、
 すらすらと口にする男の子。
 それを受けて、字形の意味をみんなで読み解く。
 右に三本開いている線は鬣。
 下の四つの点は足。じゃあ、足を包むような右のはねは?
 ・・・そう、しっぽ。
 「馬のしっぽはすごく長くてさらさらなんだよ」と
 説明する道村先生。
 「ほらこれ、触ってみて」とポニーテールにした女の子の
 髪をみんなにさわらせる。
 「すごい!気持ちいい!」「かっこいいね」と
 驚きを口にする生徒たち。
 一つ一つの文字を、こんな風に体感しながら
 まさに「身につけて」いくのだ。
 
 この番組のナレーションは、最上級生の優里菜さんが担当している。
 堂々とした発音のすごくきれいな朗読。
 本を読むのが大好きだという彼女は、漢字を手に入れたことで
 いろいろなものが理解できるようになり、
 パソコンの音声機能を使って正しく字を選べるようになったっと
 嬉しそうに語っていた。
 卒業を控えた彼女は、下級生より一足早く1006字を習得した。
 それは大変な努力を要したようで「道村先生が恐いからさ、
 頑張らざるを得ないんだよ」と言っていたが、
 「恐い?そんなに恐かった?」と道村先生に聞かれると
 「いや、ちゃんとやらない私が悪いんだけど」と明るく話す。
 最近よくある感じに、表面を取り繕って
 「こう言った方がいい」と思っているという風ではない。
 本気で「この学びは自分のためだ」とわかっている感じだ。
 未熟児で生まれて、声帯が一つ使えない生徒も、
 発声指導について、同じようなコメントをし、
 自ら、声を出せるようにと腹筋をしていた。
 ここには、「自分が豊かに生きていく上で
 身につけなければならないものを学んでいるのだ」という
 強い意識が感じられた。
 道村先生の口癖は「できないじゃない、やるの」だそうだ。
 とても厳しい言葉だが、これが出来なければ、
 生きていくのに困るのだ、
 だから出来るようになって欲しいのだ、
 という気持ちは生徒たちにしっかり伝わっている。
 そして実際、学校での学びが、彼らをの生活を豊かにし、
 それを彼ら自身がいちばん実感しているのである。
 これこそ、教育の理想の姿ではないか。
 学ぶことは厳しくて辛い、
 でもいろんな事が出来るようになっていくのは、
 楽しいし嬉しい。
 そんな学びの本質を感じさせられる授業を
 どれだけしているか、考えさせられてしまった。

 大縄飛びや、狂言にも彼らは挑戦していた。
 優里菜さんの卒業式には、
 みんなが今の気持ちを漢字の音読みで伝え合っていた。
 今の気持ちは「ジャク」・・・そう寂しい。
 でも、「コウ」・・・「好きって意味?」と聞く子もいたけど
 優里菜さんが言ったのは「幸」。
 みんな「ジャク!」「コウ!」と叫びながら別れを惜しんでいた。
 明るくて、楽しげで、にこにこして。
 目が見えないのに、ではなく、
 目が見えないからこそ生まれた「幸」がそこには生まれていた。
 子どもを取り巻く環境は、私たちには変えられない。
 だから、彼らのいる生活環境の中で、
 豊かに生きられるスキルを身につけられるように工夫すること、
 それこそが私たちの大切な仕事なのだと痛感した。
 すばらしい実践だった。

 ・・・ただ、何故司書教諭研でこれを見た理由はわからない(爆)
 
 

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August 14, 2007

司書教諭研修

 夏休みの恒例になった司書教諭研も4年目。
 とうとう最後の科目となった。
 もともと免許が欲しくて始めたわけではないので
 やっと、と言う感じでもないのだけど、
 大学の講義的なものを受けるのも
 もうしばらく無いかもと思うと
 なかなか感慨深い。
 生徒の立場になって授業を受けると
 いろいろな事に気付かされる。
 去年(一昨年かな?)も書いた気がするけど
 ものすごく入念に準備された事がわかる
 緻密な授業のわかりやすさには感心するし、
 人生の深みを感じさせるエピソードに富んだ授業では、
 一生懸命何かをつかみ取ろうとする
 気持ちを掻き立てられた。
 で、今日は。。。
 正直に言うと、「ああ、私も陥りがちかも」と
 反省させられた(^^;;;

 私より若年の女の先生だったのだけど
 ものすごく喩え話が多い。
 で、レジメが無いので、
 どれが本筋で、何が言いたい事で、
 何故この話をしているのかがわからなくなるのだ。
 私もよく喩え話をするので、ちょっと考えてしまった。
 もちろん喩え話は、
 話をわかりやすくするためにするのだけど、
 今日の授業を聴いていたら
 「喩えられているものを知らなかったら、
  全く話が見えないな」と痛感してしまった。
 『のだめカンタービレ』と『はちみつとクローバ』の
 比較を話されても、どっちも読んだ事無いと
 全然想像もつかない。
 もちろん、「どういうものか」の説明はあるけれど
 それを聞くのならたとえが無いのと一緒で、
 そもそも喩え話を理解する事が主眼ではないのだから
 無駄なエネルギーを使っている気がしてしまうのだ。
 もっとも、この喩えを効果的に使いたいなら、
 その両方を印刷してみせるか、OHCで見せればいい。
 しかし、それは、綿密に授業を組み立てて、
 ここでこの喩えを使う、ということを決めていなければできない。
 私は思いつきで話してしまう事が多いので、
 まずそういう準備はしていないことがほとんどだ。
 でも、反省。
 今まではほとんどカンで話を進めていたが
 多数の人を相手にするときは、
 それを知らない人も多いことを頭に置かないといけないな。
 と言うわけで、講義を受けると、
 いろんなことで賢くなるのでした(笑)
 

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February 22, 2007

ジェンダーと学校


 組合の女性部主催のジェンダー講演会に参加してきた。
 講師は沖縄大学助教授の宮城公子さん
 ジェンダーフリーバッシングがひどいのは知っていたけれど
 この曲解加減には、怒る以前に情けないなぁ、とつくづく思う。

 もう周知かも知れないけれども
 ジェンダーとは、社会的な性差のこと。
 生物的な性差を表すセックスと対をなす後で、
 セックスが先天的なものだとすれば、ジェンダーは後天的な性である。
 
 そしてジェンダーフリーとは、社会的に押し付けられる性差によって
 嫌な思いをしている人をフリー(自由)にしてあげようという主張だ。
 「男なんだから、泣くな!しっかりしろ!」とか
 「女なんだから、料理くらいできるでしょ?」とか言われて
 嫌な思いをしたことがある人も少なくないだろう。
 そう言われて別に気にしない人はいいのだけど、
 気になる人が、「今の社会ではそう言う認識だから」と
 我慢しなければならないような状況を、
 そのままにしておくのはよくないでしょ?と言うことだ。

 そもそも、こういう性差は別に特別な必要性が
 あるものでもないんだから、
 嫌な思いをする人を救うために無くしてもいいはずだ、
 というのがジェンダーフリーの考え方だ。
 基本的には「人種差別」がいけないというのと同じだろう。
 しかしながら、今、このジェンダーフリーに
 猛烈なバッシングが起こっている。

 そのバッシングの内容は、
 「ジェンダーフリーは男女の性差を無視するもので
  男女を中性化し、日本の伝統に反し、家族を崩壊させている。
  やみくもに男女をミックスさせ、過激な性教育を行い、
  少年少女に早い時期から乱れた性関係を持たせる」のだそうだ(笑)
 なんで、中性化するのに、過激な性教育をするんだか
 ここだけでもよくわからないのだが、ともかく論理的に破綻している。
 ジェンダーとセックスの違いもわけられていないし、
 「ジェンダーから自由にする」=ジェンダーフリーと
 「ジェンダーをゼロにする」=ジェンダーレスの違いもわかってない。
 ホントにそんなわけのわからない主張してるの?と思っちゃうのだが
 それはこの自由民主党のサイトの中にある
 「過激な性教育・ジェンダーフリー教育の調査結果」を読むと
 「ホントかよ〜」と笑ってしまうこと間違いなし。
 なんでも「アンケートからは、保護者はじめ地域の皆様から教育現場における
 生の声をいただきました。」そうだが、果たして、この
 アンケート形式で集められたらしい話にどこまで信憑性があるのか
 どこまで調査をしているのか、疑問に思う。
 学校現場にいたら、「こんなこと出来るわけ無いでしょ」としか
 思えない「性教育」のオンパレードで、それをまた
 ジェンダーフリーと並べて出してる理由の説明も無い。
 
 このページの作成意図を考えると
 「後天的な性差は特別な必要性があるものではない」という
 主張が気に入らない人が多くいるんだな、
 ジェンダーに特別な必要性を感じている勝手なオジさんが
 国会に巣くってるんだな、とつくづく思う。
 
 それなら、そう言えばいいのに。
 「ジェンダーが無くなったら困る。
  女は、子どもを産んで、家庭に入って
  働く(戦う?)男を支えるだけでいいんだから」って。
 そうそう、どっかの厚生労働相みたいにね。
 でも、言っちゃうとあんな風になるから、
 遠巻きに、変な論理を組み立てて
 なんだかそれっぽく仕立てて行くんだよね。
 こんな阿呆に騙されていはいけません。
 本当に注意深く生きなくちゃ危ない危ない世の中です。

 
 

 
  
  
 

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