小中の先生方の生活指導の研究会である
全生研の沖縄支部の春のセミナーに参加してきた。
今回の講師は、大分の溝部清彦先生。
全生研のアイドル的存在(だと思う)の
イケメン小学校教師である。
(でもお年を聞いてびっくり!むっちゃ若く見える!)
一昨年の大分大会の時に、発売されたばかりだった
『子どもをハッとさせる教師の言葉』が
書籍コーナーで大フィーチャーされてたのだが、
なにより驚いたのは、著作者近影。
これは、一見の価値有り!こんな小学校の先生いるの?!と
驚くこと請け合いである。
今回伺ったら、なんと1時間かけて撮ったのだとか・・・
流石のビジュアル系である。
お話の中でもあったのだが、教師のビジュアルは大切である。
私も常々言ってるのだが、教師はカッコ良くないといけない。
ダサイ格好の人間に、服装をとやかく言われても
「センス無いくせに」としか思われないし、
ちょっとギャル系の女の子に気に入られるには、
見た目がお洒落なことはマストだと思う。
持論と同じことを言われたのは初めてだったので
ちょっと嬉しかった(^^;;;
今回は、教育学部を受験する生徒も二人参加。
受験面接指導の中で、
私が小学校の話を知ってる理由を聞いたので
沖生研の話をして、セミナーの紹介をしたら
行きたいというので、連れて行った。
午前中だけだったが、
ソフトなことばで生徒同士を繋げていく実践や、
小学校のリアルな実態に笑ったり驚いたりしながら、
確実に何かを掴んだようだった。
さて、今回、感じたこと。
普通のことをやっていたら、普通のことしか起こらない。
普通と違うことをやれば、そこに普通とは違うことが生まれる。
公民館で、子どもが主体の、
地元の人を千人集めるお月見会をやった話は
地元と繋がって子どもを育てる、という
今の学校がとらなければならない姿勢の
プロパー的な実践だと言えるだろう。
公民館に、建設会社の方が
特設ステージを作ってくれる話なんかは
北山高校での私の師匠の実践を彷彿させられた。
そして、大切なことは、
そうやって起こるドラマ、
あるいは日々の生活の中で起こるドラマを
言語化させることである。
溝部さんは、生徒に何か変化が起こった時には
必ず作文を書いてもらうのだそう。
普通には書けない子どもとは対話をしながら
ことばを引き出すのだそうだ。
「その時、どう思ったの?」
「それは何故かな?」
「もしかして、こんな気持ちだった?」
そうして出て来たことばが詩になると
予定調和ではない生きたものができあがる。
また、様々な場面で、
その状況を「国語的な問題」にするそうだ。
男の子が、荒れて、作文用紙を叩きつけ、
鉛筆を黒板に投げつけた時に
「今の行動にはどんな意味があるのでしょうか?」と
班で答えを考えさせ、本人に答えを聞く。
また「ほうきを振り回して暴れていた前の行動と
今回を比べるとどうなっているでしょうか。
1,良くなっている
2,酷くなっている
3,変わらない」という質問もしたのだそう。
荒れる本人は、自分の行動の理由を
上手くことばにすることは出来ない。
また、行為そのものではなく、
子どもの変化の中に成長を見つけるのも
大切なことである。
そして、その問題の子だけでなく
周りの子どもたちも、生活文脈の中で
さまざまな人の思いを読み取り、
言語化する能力を身につけられる。
沖縄の子どもは学力が低いと言われるが
それは言語能力が十分でないことが
いちばんの問題だろうというのが
大半の見方である。
ウチのクラスの生徒にも
面接準備シートの
「本学の志望理由」に
「塾でバイトしている大学生が
楽しいと言っていたから」などと
平気で書く医学部志望者がいる。
ことばにされた意味しか考えず、
その質問が発せられている理由や目的を
読み取ろうとする意識がないのだ。
そのようなことばの貧困さは
生活の中でことばを軽視していることから
生まれていると思う。
沖縄の子どもの生活経験は
十分豊かであるが、それを言語化する練習が
圧倒的に少ない。
国語力は、やはり生活文脈の読み取りと
密接に関係している。
毎日の授業を俳句にしてまとめる実践を
真似しながら、
春からの新一年生の指導に活かしたいな。
Recent Comments