いやおうなしに
古田新太とキョンキョン、PARCOプロデュースだし、「歌謡」だし、まぁ、ハズレはないか。
と、安易な気持ちでなんの予備知識もなく(チラシの煽りさえ読みもせず)見に来てしまった。
珍しく開場時間に入って、客入りの曲を聞いて「なにこれ?面白いけど?歌詞すげーな。でも、楽曲はやたらかっこいいし。まさしく「歌謡ファンク」だな」と思っていたら、それが劇中の本当の主役「Only Love Hurts」(旧名:「面影ラッキーホール」通称:「O.L.H.」)の楽曲だった。
この芝居は、「O.L.H.」の「歌謡」の世界を舞台化したもの。芝居のために書き下ろされた曲ではなく、「O.L.H.」の歌詞にある世界観を実写化した作品である。
と言っても「O.L.H.」を知らない(数時間前の私を含めた)輩には想像もつかないと思うので、歌のタイトルだけをちょっと書き上げてみよう。
「俺のせいで甲子園に行けなかった」
「好きな男の名前 腕にコンパスの針でかいた」
「あんなに反対してたお義父さんにビールつがれて」
「ひとり暮らしのホステスが初めて新聞をとった」
「おみそしるあっためてのみなね」
「パチンコやってる間に産まれて間もない娘を車の中で死なせた…夏」
重ねて言うが、これ、全部歌のタイトルである。が、これを続けて読んだだけで、くっきりとした生々しい世界観が浮かび上がってくる。一幕目の初め、私の脳裏に浮かんだのはあのNHKのドキュメンタリー番組「72時間」だった。みんな普通の顔して雨の中ガソリン入れに来てるのに壮絶な人生背負ってたりする、あの現実の凄まじさ。空々しいような絵に描いたような「不幸」は実は凄くリアルで、だからこそ「歌謡」にして「昇華」していかなければならないという、昭和の時代には確かに存在していたある種のカタルシスが体現される。
平成も四半世紀経って(ん?なんかYahoo!でググる的表現?)なんだか妙に世の中がクリーンになった。エネルギーや政治家がクリーンなことは喜ばしいが(あ、このふたつは未だクリーンじゃない筆頭でしたね(^^;;)、「平成の清き流れに住みかねて」感も拭えない。人間は清濁合わせ呑んで滋味が出るもんではないかと思うのだが、昨今やたらクリーンさが幅を利かせてて、「つまらない」というか「味気ない」というか「息苦しい」というか。配慮配慮が行き過ぎて、芸術の世界までもなんだか隅々まで光に満ちてて。イカガワシイものとか、下世話なものとか、王道でないものが排除されてしまうのは寂しく無味乾燥。ライヴで褒章受賞をネタにして炎上とかほんと、つっまんねぇ世の中である。もしかすると、このつまらなさって歌謡が無くなっちゃったからではないのか?とまで思わされる演目だった。
そんなイカガワシサ満載、下世話満載、もはや下衆としか言えないスタイルで描き出されるテーマはまさしく「愛」。「愛の測り方」である。
若い時には完全に勘違いしていて、いまだにたまに(イヤ結構頻繁に)失念してしまう、「愛の尺度」への認識。そもそも愛なんて測れるものではない、と「クリーン」に「クレバー」にことばにしてはいるけれど、実際は測りたくてしょうがない。「♪いつだって I love you more than you 」とユーミンの曲が流れたり、「♪仕事と私とどっちが大事よ Love me tonight」とムーンライダーズが流れたり、常に「それ」を気にしてる。愛情の証にモノを買いたくなってしまうし、略奪愛の実話なんぞ聞くとちょっと羨ましくなってしまう(爆)
時間やお金を費やすこと、より困難な状況を乗り越えること、それこそ愛の強さだと、安直にも思ってしまう。
この話に出てくる人たちは、みんなその勘違いに囚われていて、それ故に「不幸」になっていく。けれどもそれだって本当に「不幸」なのか?と問われたら、明確には言い切れない。先日読んだ『無痛社会のゆくえ』という評論が「無痛社会を極めると、喜びを感じにくくなる」と結ばれていて、なかなか感傷的だと感じたのだけど、「一匙の不幸」は「幸福」を増幅させる大切な要因なのかもしれない。
「愛」は「クリーン」や「クレバー」なものではない。「測れない」のは真実だろうけど、「測りたい」のも真実なのだ。「測りたい」気持ちをくだらない、間違ってると切り捨てたら、その瞬間に「愛」の滋味は薄れてしまう。でも、「測りたい」ばかりにとらわれたら、辛くなるばかりで「愛」を擦り切らせてしまう。
断ち切るばかりに「愛」を測ろうと貪欲に臨み、傷つき、壊れていく登場人物たちを眺めながら、オーディエンスである私は、上手にバランスを取ろうと、ずる賢く思う。
「測れない」ことを認識しながら、時々わざと忘れてみよう。
壊れない程度に、壊さない程度に、貪欲に求めてみよう。
時々バランスを失うのも、まぁご愛嬌。
古田新太演じる太一が言うように「一般庶民は底から這い上がる時しか希望がない」のだから、落ちた時でも楽しんで(笑)
悲惨で、陰鬱で、暴力がてんこ盛りの舞台ながら、希望の一歩を登らせるちからのある不思議な演目。
特にご両親からクレームが来るんじゃないかと製作陣が心配している高畑充希ちゃんの体当たり演技は、見もの。
昭和は遠くなりにけり、されど昭和はここにあり。
ちょっと昔のカタルシスに浸りたい方は、是非2月のPARCO劇場へ。CD買います。

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