渓嵐国泰山海紘宮

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演劇

January 14, 2015

いやおうなしに

古田新太とキョンキョン、PARCOプロデュースだし、「歌謡」だし、まぁ、ハズレはないか。
と、安易な気持ちでなんの予備知識もなく(チラシの煽りさえ読みもせず)見に来てしまった。
珍しく開場時間に入って、客入りの曲を聞いて「なにこれ?面白いけど?歌詞すげーな。でも、楽曲はやたらかっこいいし。まさしく「歌謡ファンク」だな」と思っていたら、それが劇中の本当の主役「Only Love Hurts」(旧名:「面影ラッキーホール」通称:「O.L.H.」)の楽曲だった。
この芝居は、「O.L.H.」の「歌謡」の世界を舞台化したもの。芝居のために書き下ろされた曲ではなく、「O.L.H.」の歌詞にある世界観を実写化した作品である。
と言っても「O.L.H.」を知らない(数時間前の私を含めた)輩には想像もつかないと思うので、歌のタイトルだけをちょっと書き上げてみよう。
「俺のせいで甲子園に行けなかった」
「好きな男の名前 腕にコンパスの針でかいた」
「あんなに反対してたお義父さんにビールつがれて」
「ひとり暮らしのホステスが初めて新聞をとった」
「おみそしるあっためてのみなね」
「パチンコやってる間に産まれて間もない娘を車の中で死なせた…夏」
重ねて言うが、これ、全部歌のタイトルである。が、これを続けて読んだだけで、くっきりとした生々しい世界観が浮かび上がってくる。一幕目の初め、私の脳裏に浮かんだのはあのNHKのドキュメンタリー番組「72時間」だった。みんな普通の顔して雨の中ガソリン入れに来てるのに壮絶な人生背負ってたりする、あの現実の凄まじさ。空々しいような絵に描いたような「不幸」は実は凄くリアルで、だからこそ「歌謡」にして「昇華」していかなければならないという、昭和の時代には確かに存在していたある種のカタルシスが体現される。
平成も四半世紀経って(ん?なんかYahoo!でググる的表現?)なんだか妙に世の中がクリーンになった。エネルギーや政治家がクリーンなことは喜ばしいが(あ、このふたつは未だクリーンじゃない筆頭でしたね(^^;;)、「平成の清き流れに住みかねて」感も拭えない。人間は清濁合わせ呑んで滋味が出るもんではないかと思うのだが、昨今やたらクリーンさが幅を利かせてて、「つまらない」というか「味気ない」というか「息苦しい」というか。配慮配慮が行き過ぎて、芸術の世界までもなんだか隅々まで光に満ちてて。イカガワシイものとか、下世話なものとか、王道でないものが排除されてしまうのは寂しく無味乾燥。ライヴで褒章受賞をネタにして炎上とかほんと、つっまんねぇ世の中である。もしかすると、このつまらなさって歌謡が無くなっちゃったからではないのか?とまで思わされる演目だった。
そんなイカガワシサ満載、下世話満載、もはや下衆としか言えないスタイルで描き出されるテーマはまさしく「愛」。「愛の測り方」である。

若い時には完全に勘違いしていて、いまだにたまに(イヤ結構頻繁に)失念してしまう、「愛の尺度」への認識。そもそも愛なんて測れるものではない、と「クリーン」に「クレバー」にことばにしてはいるけれど、実際は測りたくてしょうがない。「♪いつだって I love you more than you 」とユーミンの曲が流れたり、「♪仕事と私とどっちが大事よ Love me tonight」とムーンライダーズが流れたり、常に「それ」を気にしてる。愛情の証にモノを買いたくなってしまうし、略奪愛の実話なんぞ聞くとちょっと羨ましくなってしまう(爆)
時間やお金を費やすこと、より困難な状況を乗り越えること、それこそ愛の強さだと、安直にも思ってしまう。
この話に出てくる人たちは、みんなその勘違いに囚われていて、それ故に「不幸」になっていく。けれどもそれだって本当に「不幸」なのか?と問われたら、明確には言い切れない。先日読んだ『無痛社会のゆくえ』という評論が「無痛社会を極めると、喜びを感じにくくなる」と結ばれていて、なかなか感傷的だと感じたのだけど、「一匙の不幸」は「幸福」を増幅させる大切な要因なのかもしれない。
「愛」は「クリーン」や「クレバー」なものではない。「測れない」のは真実だろうけど、「測りたい」のも真実なのだ。「測りたい」気持ちをくだらない、間違ってると切り捨てたら、その瞬間に「愛」の滋味は薄れてしまう。でも、「測りたい」ばかりにとらわれたら、辛くなるばかりで「愛」を擦り切らせてしまう。
断ち切るばかりに「愛」を測ろうと貪欲に臨み、傷つき、壊れていく登場人物たちを眺めながら、オーディエンスである私は、上手にバランスを取ろうと、ずる賢く思う。
「測れない」ことを認識しながら、時々わざと忘れてみよう。
壊れない程度に、壊さない程度に、貪欲に求めてみよう。
時々バランスを失うのも、まぁご愛嬌。
古田新太演じる太一が言うように「一般庶民は底から這い上がる時しか希望がない」のだから、落ちた時でも楽しんで(笑)
悲惨で、陰鬱で、暴力がてんこ盛りの舞台ながら、希望の一歩を登らせるちからのある不思議な演目。
特にご両親からクレームが来るんじゃないかと製作陣が心配している高畑充希ちゃんの体当たり演技は、見もの。
昭和は遠くなりにけり、されど昭和はここにあり。
ちょっと昔のカタルシスに浸りたい方は、是非2月のPARCO劇場へ。CD買います。

October 17, 2013

飛龍伝21 ~殺戮の秋〈いつの日か、白き翼に乗りて〉

 「つかこうへい」をもちろん知らないわけがない。
 『蒲田行進曲』や『幕末純情伝』は映画でなら見たし、
 その独自の演出法に心頭し、
 門下に入る役者が多くいたことも知っている。
 昭和の演劇史を積み上げた御大、
 であるがゆえに敷居が高いというのが実際のところで、
 結局ご存命中に劇場に足を運ぶことはできなかった。
 (蜷川さんも似たような理由で見ていなかったのだが
  去年『ボクの四谷怪談』で度肝を抜かれた。
  やはり、いいと呼ばれるものには理由がある。
  食わず嫌いは良くない。)
 つか演劇を生で体験している私の観劇の師匠(笑)が
 「つかさん、生きてる」などとのたまうもので、
 今回の『飛龍伝』に、当日券で急遽参戦。
 (これはまさしく参戦でしょ。)

 つか芝居に関しては、そういうわけで、私が語る資格など
 毛頭ないのだけれど、やはり最初に、
 台詞の聞き取れなさに面食らう。
 何故にこんなに叫んでいるんだ・・・
 割れ割れで聞き取れない・・・
 と、前途多難に感じたのも束の間(は、言い過ぎだが、まぁ、洒落として)
 だんだん聴けるようになる。
 あるいは、聴けないまでも、なんだかわかるようになる。
 台詞は言葉のみにあらず、だ。
 ほとんど無いに等しい舞台装置も衣装も、「そういう世界」に感じられる。
 不思議な感覚だ。
 
 物語は1970年秋。
 70年安保をめぐる全共闘と国家権力(の末端である機動隊)の
 闘争の中での愛憎劇。
 何しろ副題が「殺戮の秋」というからに、芝居全体が
 暴力と死と不条理で溢れている。
 ・・・と書いてしまうと、いかにも陰惨なものに感じられるかも知れない。
 しかしながら実際は、カラッと、スパっと、スッキリ、といった趣さえある。
 ストーリー自体には救いようもない悲しみや切なさや悲惨さに溢れているのに、
 それをそれだけに見せない仕掛けがそこにはあった。

 例えば、殴る時のSE。
 大げさな漫画の効果音の如き音が入ることで、
 それは記号化し、実際の「傷み」から距離を置くことが出来る。
 逆に言えば、その仕掛けがなければ、とても直視できないほどの暴力が
 舞台上では繰り広げられる。

 私は思想的には「安保反対」側で、
 沖縄の県民集会にも参加するタイプの人間だが、
 全共闘の闘争スタイルにはやはり賛同できない。
 ・・・と書いてしまえるのは、もちろん、この平成も四半世紀を過ぎた
 今だからであって、たぶん、あの時代に大学生であったなら
 過激に声をあらげ、ことによると、実際の闘争現場に身を投じていたであろう。
 今、「暴力に訴えるはよくない」などと言えるのは、
 歴史の中で暴力の「非力さ」と暴力で何かを得る時の代償の大きさを
 思い知ったからであって、暴力しか「言語」のなかったあの時代の
 彼らの生き方を批判することは決してできないことだ。

 主人公、神林美智子は、ノンポリの優秀な女子大生に過ぎなかったのに、
 東京に出て、全共闘作戦参謀部長桂木の「女」になったため、
 作戦の一環として、全共闘40万人を束ねる委員長にまつりあげられてしまう。
 「高尚」に思える「思想」を共有する理想的な「男」のために、
 身も心も捧げる美智子は、
 全共闘の思想を体現したかったわけでは全くなく、
 単に好きな男を支える存在としての自分の価値を認められたい一心に見えた。
 最初に全共闘に勧誘をしてきた男のことを、
 関係を持った途端好きになってしまうという描写は、
 そういう美智子の「ピュアな乙女心」の象徴であろうし、
 「東京に出てこなければよかった」という独白も同じ心情からのものであろう。
 「うら若き乙女」が、特に美智子のように
 親からの愛情を十分に感じられていない女子が
 恋愛に求めるのは、相手からの普遍の肯定だ。
 お前が大切だ、お前がいないと困ると言ってくれる存在が
 いちばん大切なものであり、それを失わないためには
 まさに「心身込めて尽くす」のである。
 しかもそれが「高尚」な「思想」を介するものであるならば、
 個人的な満足を超えて、社会的にも認知されている安心感が得られる。
 しかし、バレリーナの爪先立ちの如く、無理して高みを望むような姿勢は
 いつまでも続けられるものではない。
 そんな時に寄りかかってしまいたくなるのが
 山崎一平のような、「思想」などと無関係な、
 全く理屈抜きで本能だけで自分を愛し、守ってくれる
 「中学出の機動隊員」なのである。
 桂木も山崎も、どちらも好きだと思えてしまう美智子の気持ちには
 何の矛盾もない。
 彼女の心情は、かつて「うら若き乙女」だった私には、まるごと理解できる。
 そして、彼女の二倍生きてきた今、それはどちらも
 人生を賭すことのできる「愛」ではないと言うことが出来る。

 暴力にしか訴えられない全共闘の闘争スタイルも
 全体主義を批判しながら似たような組織を作ってしまうことも、
 根本は同じなのだ。
 人生は0か100かではなく、何百、何千もの層のある奥深いものだ。
 思想も愛情も憎しみさえも、極端には語れない。
 グラデーションを、しかも何色ものそれを、幾通りも生み出すことこそが
 人生の深みであり、喜びであると、
 混じりけのない原色だけで描かれた『飛龍伝』を見るとしみじみ感じられる。
 その目が痛くなるほどの原色は、見ているこちらが自ら調合しなければ、
 言語にはならない。
 それを伝えているのが、なんの誂もない演劇スタイルなのだろう。
 この題材で、このスタイルで、この台詞でなければ、絶対に成立しない
 曲解されてしまう芝居。
 これこそが真の個性であり、つかこうへいにしか作れない世界なのだ。

 タキシードの男優陣に
 白いドレスも鮮やかな桐谷美玲嬢の秀麗さ、
 舞い飛ぶ金銀のテープといった
 先ほどまで繰り広げられていた舞台とは対照的な
 なんとも派手なエンディング。
 40年たっても全く解決されていないこの国の問題の根深さを
 見せつけられて、混沌とした脳裏に
 昭和の時代の華やかさとやるせなさを響かせるフィナーレ。
 かくして、カオスのまま青山劇場を離れた。
 
 
 
 
 

September 22, 2012

『広くてすてきな宇宙じゃないか』観劇は座席が大事 #caramel box

完全トリプルキャストとはいえ、同じ芝居を三本見て楽しめるのか⁈
というのが、実はチケットを予約する時の迷いでした。
加えて私の予定がはっきりしないのも手伝って、まごまごしていると、
ほとんど前売り券が買えない状況になってしまいました(・_・;

初日、せっかく東京にきているんだからと、
とりあえずまだ買えるスロープの分を有楽町でハーフプライスにてキープ。2階4列目センターより。
すでに売り切れているフォレストは、当日券に並んで何とかスピーカー前の補助席をゲット。

最初はこのイレギュラー席での鑑賞。
この席、千円安いのだけど、舞台が1/4ほど見えない(^_^;)
なるほど、定価4000円だからね(^^;;
私は左端だったので、下手で起こってることがわからず、
あとで違うキャストで見て納得、といったことも多々。
ただ、カシオくんが語ったり、
望遠鏡を覗く場所にとっても近いので、ドキドキ(*^^*)
だって、畑中くんなんだもの〜
あと、スピーカーの威力。
東京中の電気が止まった時には、風がきたよ!(◎_◎;)
あとは、舞台の振動が伝わってくる。
ホントに震度2くらいの揺れは感じる(^^;;
表情はよくわかるけど、全体が見えない、と
いうのがこの席の特徴です。

お次はスロープを2階から。
前回のアルジャーノンのイグニスキャストよりは前だし、
真ん中だけど、やっぱり遠いなぁ。
さっきが最前列だっただけにその差が。。。
しかしながら、ここで見てまず気づいたことは、
最前列では、照明が見えない!ということ。
一番驚いたのは、望遠鏡のシーンでの床一面に広がる星。
全く見えてなかった(笑)
その他にも、照明の色合いがあんまりわからないことが判明。
カーテンコールのあの美しい色も気づかなかったなぁ。
あとは、逆に星空の演出は上がきれて見えない。
最後のクライマックスでは、青のピンスポが目に入っちゃって
逆におばあちゃんが逆光で見えない(^^;;
角度の問題なのでしょうが。。。

千秋楽のリバーは、1階18列サブセンター。
一番いい席で、一番よく見えた♪( ´▽`)
よく見えると、見え方などどうでも良くなるので、
特徴はよく覚えてません(^^;;

やっぱり、演劇ってどこで見るかでだいぶ違うんだなぁ・・・
と改めて感じたトリプルキャストでした(^-^)

CSC結成20周年記念公演『広くてすてきな宇宙じゃないか』四方山話 #caramel box

コアなキャラメルボックスファンしか面白くないと思うので、
それ以外の方は読みとばして下さい(^^;;

今回の『広くてすてきな宇宙じゃないか』は
完全トリプルキャストで上演されていて、終演後、各キャストが作った手作り新聞が販売されています。

初日、フォレストキャストの時は、おっかーさんが手売りしてて、
群がる女性ファンに混じり、ほぼ手に触るだけ、という感じで握手してもらいました(^^;;

続いてスロープキャストのは、麗しの温井さんに千円札からお釣りを貰うという迷惑をおかけしつつ購入(^^;;
握手していただけますか?と聞いたら、もちろんです!と快く応じていただいた上
「またいらっしゃる予定ですか?」と話しかけてもらった(*^^*)
「千秋楽にチケットが買えれば(^^;;」と答えると、なるほどという表情ながら、
「是非また」と言って貰いました。うふふ。

そして本日のリバーキャスト千秋楽は、
阿部くん、森さん、新人の鈴木くんの三人が手売り。
阿部くんに「いちばんニュースキャスターっぽかったです。シラノ仕込みですね(^^;;」とか言いたかったのですが、順番的に鈴木くんの前に。
新人さんに話しかけるのはなんか知ったかぶりな気がして(^^;;
(実際、サカモトの人だ、とは思ったけど名前は出てこなくて(・_・;)
静かに買いました。

並んでる時に後ろにいた二人組の会話に混じりたかったんですが
勇気がなかったので、ちょっと再現したいと思います。

Aさん「筋わかってるのに、最後、泣いちゃうよね」
Bさん「面白かったね~三組とも微妙に違うんだろうね」
私の心の声「そうなんですよ、お父さんの見た夢とか、桂さんの決めポーズとか、全部全部違うんですよ~」
スタッフさん「只今、FRS全てのキャストの新聞を販売しております!」
Aさん「FRS。。。あ、FRSなんだ!今回のキャスト!(注:FRSとは劇中に出てくるファミリーレンタルサービスの略称)」
Bさん「そうなんだね~ でも、なんでスロープ?スカイとかじゃダメなの?」
Aさん「そうだよね、リバーとフォレストはわかるけど、スロープって。。。」
私の心の声「それはですね~坂口さんがおばあちゃん役だからです!リバーは石川さんの川、フォレストは大森さんの森なんですよ!」

本当にいろんな仕掛けがあって、キャラメルのお芝居は舞台の外でも楽しめます♪( ´▽`)

August 20, 2012

『アルジャーノンに花束を〈アクア〉』 演劇集団キャラメルボックス #caramel box

劇場に向かう途中で、
大きな声で「まっくろくろすけでておいで~!」と叫ぶ
三十代くらいの女の人とすれ違った。
その時、私の前を歩いていた女子高生二人が
彼女に関して心ない会話をしているのを
聞くとはなしに聞いてしまい、
なんだかとても辛い気持ちになった。

劇中、同じように、辛い、胸の奥をぎゅっと掴まれるような
何とも表現し難い気持ちに何度も襲われた。

知的障がいを持つ主人公チャーリーに対する
店の同僚たちのあからさまな嫌がらせもさることながら、
何よりも切なく感じたのは、
母であるローズの態度である。
ローズがチャーリーに冷たいとか、
母親のくせにひどいとか、
簡単に非難することはいくらもできるだろうが、
そうしたところで、どうしようもない、
誰にでもある拭いきれない思いを体現しているのが
まさにローズなのだ。
自分の子供がせめて人並みであって欲しい。
そう思うのはごく当たり前のことで
多くの親はそのために色々と努力をするものだ。
私も人の親でこそないものの、
仕事上、多くの親御さんに会うので、
その気持ちが直に伝わってくるだけに、
ローズの行為をきっぱり断罪できない、
でも、チャーリーのために許しがたいと思う
何とも複雑な思いに苛まれたのだ。

道徳的にこうすべきである、などということで
表面上の態度は変化させられるかもしれない。
それだけでも、多少マシかもしれないが、
結局のところ根本的には解決できず、
親も子も辛い思いを繰り返す。
そんな袋小路から抜け出す道はないだろうかと
思いながら立ち寄った書店で、
大江健三郎氏の最新エッセイ集を手にした。
周知のことであろうが、大江氏の長男である
光さんは、いくつかの障がいを抱える音楽家だ。
大江親子の姿は何度か映像で目にしたこともあり
本もいく冊か読んだことがあったが
今日手にした単行本にも冒頭に二人で散歩をした話が
収録されていた。

大江氏が光さんを描く時の筆致にこそ、
私の迷いの答えはあると感じた。

「注意深いまなざし」

受け入れるとか、肯定するとか、
カウンセリングの席で有効だとして
口にされる動詞はいくつもあるが、
それはどれも、この場合、偽善的で、
忍耐を伴います。
「注意深いまなざし」は、その、努力を要する動詞の前の
大切な行為なのだ。
まずは見つめること。
しっかりと、そのありのままの姿を、
陰りのない目で見つめるだけで、
その相手にとって必要なことは、
ずんと伝わってくるのだ。
言葉を紡ぐのが苦手な相手のことこそ、
じっくりと見つめることで、多くのことがわかるものである。

そこまで思い及んで、改めて違和感を覚えるのは、
アリス・キニアンという教師の存在だ。
観劇後、忸怩たるものを訴えた私に、
ある人がくれたヒントは
「アリスは、現在なら、最後までチャーリーの味方」
という言葉だった。

初めてこの原作が書かれた時代を考えれば、
仕方がないのかもしれないが、
確かに、アリスには教師とは思えない発言が多いのだ。
高校生の時に原作を読んだ時にも、
どうも、好きになれなかったのだが、
その理由がわかった気がした。

アリスは、知能が高くなったチャーリーに
「あなたといると、自分はバカだと思ってしまう」と漏らす。
教師は、人を育てるのが仕事だから、
俗にいう青藍の誉ではないが、生徒が自らを超えて行くことは、
誇りにさえ思うのが普通だと思う。
アリスに感じた違和感、釈然としない気持ちは
私が教師であるがゆえに、増幅していき、
胸のつかえが取れないような気分で数日、過ごした。
そして、それがあまりに気になったので、
結構な強行突破で、会いに行ってしまった。
もう一人のアリス・キニアンに。

June 04, 2011

『水平線の歩き方』演劇集団キャラメルボックス #caramel box

初演は三年前。
その時も気持ちよく泣けた。
そういう作品を見る時は、とても身構えてしまう(^^;;
自分の感受性が渇いていないか、試されてる気がするから。
でも始まって数分、そんな気持ちは吹き飛ばされた。
それは、この作品に溢れる親和感ゆえだろう。
そして、それを発しているのは、間違いなく
岡田さつき演じるところのアサミの母性だ。

『塔の上のラプンツェル』、『ブラックスワン』と観てくると、
母というものの重さと罪深さを体感せざるを得ない。
その影響力と、支配性ゆえに、多くの娘は息絶え絶えだ。
それなのに息子の視点からだと、母とは、なんとも大きく、あたたかな存在なのだ。
素直に母を慕いえる男には、なんとも言えない魅力を感じてしまう(^^;;
それは、そうさせる母の存在の偉大さ故だ。

アサミは、まさしくそうしたグレートマザー。
ベタな洒落も、だらだらとお菓子を食べ続ける仕草も、
息子の行動をやたら不幸な方向に予想しちゃうメロドラマ好きな傾向も、
全て、気負わない、自然でおおらかなこの母のあり方が、
実直なまでにラグビーに向かって行く幸一という青年を育んだ要因なのだ。
たった12年間だったとしても。

いや、12年間だったからこそ、かもしれない。
12歳で、この大切な母を亡くしてしまったからこそ、
幸一は、その大きな穴を埋めるべく、
一人で走るラグビーを続けざる得なかったのだ。
あの震災を経験した今、
ある日突然、大切な人を奪われてしまった喪失感を抱えて、
生きるということの重みを、ひしひしと感じる。
家族を全て亡くし、
仕事も家もなくしてしまった時、
人は、なんのために生きるのか。
先日、姜尚中氏の講演会で、話されたこの命題を思い出す。
かくとした理由など無い。
理由などなくとも、それでも生きていかなければならない。
それが生きるということなんだと言われた時、
人の生の愛おしさを、しみじみと感じた。

理由があるから、生きるのでは無い。
生きて行くことで、理由が生じるのだ。
生きる中で、つながりが生まれ、それが生きる理由になって行く。

この物語は、そういうことを、三年前に教えてくれていた。
そして、今、また、それを噛みしめる。
今、きちんと生きる。
それが、私にできる最大のことだ。

May 29, 2010

演劇集団キャラメルボックス『バイバイブラックバード』〜ネタバレバリバリ〜 #caramelbox

 歩んできた人生の一部を失ってしまったとしたら?
 16歳からの記憶が消えてしまったら?
 その間に出会った人たちは人生から消えてしまう。
 そうなったら…もしかすると一番大切な人のことさえ失ってしまうかもしれないのだ。
 しかも、失ったことさえ気付かないのだ。

 自分が生きてきた人生。
 それは紛れもなく自分自身のものなのに、
 誰かに改ざんされても気付きさえしないのである。
 そうなってしまったら、重ねてきた時間は無駄になってしまうのだろうか?
 本当に何も残らないのであろうか?消えてしまうのだろうか?

 高校1年のクラスに集う
 ぽっかりと空いてしまったそんな心の穴を抱えた5人。

 実年齢に開きがあるため、みた目はバラバラだが、
 彼らは正真正銘16歳のクラスメイトだ。
 実年齢が一番上の47歳である安西は、
 人気の洋食店を切り盛りするシェフだった。
 しかし三十年の記憶を無くし、16歳に戻った今、
 「ぼくの夢は小説家になることだったのに、
 なんでオヤジの洋食屋なんかついでるんだよ!」
 と思ってしまう。
 無理も無い。
 三十年の間に挫折もあり、諦めもあり、
 それでも現実と向き合って選びとった人生。
 でもその経過をすっとばしてしまったら、
 納得なんてできるわけが無い。
 仕事だけでは無い。
 精神年齢の自分よりずっと歳上のおばさんが妻だという。
 やっぱり年上にしか思えない男が息子だという。
 失った三十年を失ったままに受け入れろと言われる。
 一体何なんだと思うに決っている。
 安西くんの気持ちの吐露を聞きながら、
 ああ、真理子さんは本当に偉かったんだな、とつくづく思った。
 そう、『SKIP』の真理子さんである。
 彼女は安西くんと同じ葛藤を抱えていたはずだ。
 職業こそ、自分の思うものに近かっただろうが、
 夫のこと、娘のこと、受け入れるのは辛かったに決っている。
 新田くんとのトキメキも捨てざるをえなくて、切なかったに決っている。
 それでも凛として前に進んだ、美しい真理子さん。
 この作品は彼女への、『SKIP』という作品へのオマージュなのだと気づき、
 胸が熱くなった。

 失ってしまった時間、失ってしまった人は取り戻せないのか?
 記憶が戻るのは0.1パーセント。1000人に1人だという。
 無理に思い出そうとすると、フラッシュバックが起こり、倒れてしまう。
 絶望的に思えるが、それでも、やっぱり
 忘れられない人のことは、絶対に忘れられないのだ。

 ラスト。
 途中から、ずっと、そうなのではないか、
 そうだったらいいのにと思っていたことが
 美しく再現され、思わず涙が溢れた。
 大丈夫、仮に、私がこの謎の熱病に侵されて、
 記憶を無くしてしまったとしても、あのことだけはちゃんと取り戻せる。
 そんな安心感、自信がとても心地よい。

 キャラメルボックスのお芝居は、いつも何かしらの答えをくれるのだ。
 日々のなかでモヤモヤとして、形にさえなっていない悩みに。
 だから元気になれるのだと思う。
 今回も心地よく泣けて、明日からがんばろうと思えた。
 感謝。


 postscript:
  終演後、クリアランスで本を買ったらなんと岡内さんが接客してくれました!
 握手してもらったらホントに細くて驚き。
 この体であのパワー。感動的だなぁー…
 近くで見てもホントに美しかった。
 実体化した真理子さんに会えたようで感激ひとしおでした。
 ありがとうございました!

 postscript2:
 この記事の下書き、iPadのメモで作りました!
 買っちゃいました…

February 27, 2010

LIVE POTSUNEN 2010 『SPOT』@ももちパレス


 ラーメンズのラーメンズの方(笑)小林賢太郎くんの
 ソロプロジェクトPOTSUNENに行ってきた。
 
 最初のPOTSUNENに行ったのが
 どうも5年前らしい。
 最近ラーメンズ熱復活で
 観たいなぁ、と思い強行軍を敢行したのだけど
 その甲斐ある流石の出来。
 才能があふれ出るような舞台だった。

 ラーメンズは多摩美大出身の二人のコンビで
 片桐くんも粘土細工をライフワークにするなど
 美大出身者ならではの味を出しているのだけど
 小林君の場合は、それが見事に舞台に反映されていて
 思わずうなってしまうのである。
 お笑いと芸術の融合、といっても過言ではないと思う。
 いや、「お笑い」と表していいのだろうかと
 むっちゃ笑いながらも思ってしまうほど
 何か新しいジャンルのものを観ている気がする。
 
 真ん中を観ていないので
 にわかには言えないのだけど
 初POTSUNENでも大好きだった
 「アナグラムのあなぐら」が
 やっぱり素晴らしい。
 私は無類のアナグラム好きで
 ハンドルの元も実はアナグラムなのだけど
 小林くんのどんどん繋がっていく
 アナグラムには本当に感動してしまう。
 言葉で遊ぶ、というか
 言葉に遊ぶという感じかなぁ・・・
 
 最近とみに思うことは
 シナプスのつながり強化の必要性である。
 たぶん、色々なものが上手く繋がってゆくことが
 思考を楽しくさせるのだろうし、
 それを本当の頭の良さというのだと思う。
 
 「アナグラムのあなぐら」で言えば
 言葉だけが出た時に、笑える時と
 その解説としてのイラストが出て初めて
 笑える時があるのだが、
 言葉だけで笑えると、妙に嬉しい。
 「わかった~!」という充実感。
 前後の関連で笑えると、これまた嬉しい。
 思考の繋がっていく感じが
 なんとも心地いいのだ。
 気が抜けず、絶えず頭を使っていないと笑えない
 緊張感を強いられる舞台なのだけど
 それがまた心地いい。

 難解な、訳の話からなさが解けていくことを
 楽しむ感覚をもっと体験するべき何ではないかと
 思う今日この頃なのである。

 本日の秀逸は、なんと言っても最後の締め。
 帰りがけに後ろを歩いていたご婦人二人組が
 「オチがすごかった」と話しておられたけど
 あれはとても「オチ」とは呼べない。
 なんだろう、なんと名付ければいいのだろうと
 これまた思い悩む「締め」である。

 やはり小林賢太郎の舞台は
 「お笑い」にして「お笑い」にあらず、
 アーティスティックコメディーとでも言おうか、
 いや陳腐だな。
 やはり、言葉にならない、というのが
 いちばんふさわしい気がする。
 是非一見を。 
 

February 14, 2010

青年座『ハッピー・マン 1862 上海大冒険』@青年座劇場

 『HAPPY MAN』って、あの漫画かなぁ、
 けっこう仮面みたいな佐那子さんが出てくるの?
 でも青年座ってオカタイとこじゃないんだろうか、
 新劇でしょ?と疑問だらけで降り立った代々木八幡駅。
 小田急線の普通列車に乗る場所が分からず、
 タッチの差で電車に乗り遅れた上、
 略図のちずがちっとも読めず、迷いに迷って、
 開演時間を5分あまり過ぎてから席に着いた。

 インターネット予約でぎりぎりに取った席は
 もともとは関係者席だったらしく、一番後ろのど真ん中。
 とはいっても、舞台が十字に作られていて、
 その開いている部分三方に席が作られているので
 それほど遠くには感じない。
 そう、青年座劇場は、稼動式座席(要はパイプ椅子)!
 たぶんただの広い空間があって
 それが演目にあわせて様々な形にされるのだろう。
 「こういう舞台のつくりは、客席の方を向かなくてはいけないと
  意識せずにすむから、役者には楽なんだよ」
 などと、専門家っぽい会話が聞こえるなぁ、と
 隣を見たら、なんと脚本家のマキノノゾミ氏が!
 ひょえぇ~原作者の隣で観劇!?緊張!!!
 おまけに狭い座席でやたら肩が当たってしまい
 申し訳ありませんでした・・・

 さて、『HAPPY MAN』は、やっぱりあの『HAPPY MAN』だった。
 佐那子さんは出てこなかったけど
 女松陰先生が出てきた。
 ああ、そうだよ、これも特徴だった。
 やっぱり、あの漫画を下敷きにしてるのねぇ・・・
 と失礼ながら思っていたが、
 帰って、漫画を確認して、
 漫画のほうが演劇を下敷きにしてたことを思い出す。
 そうだ、そうそう、読み終わった後に、
 こんなの演劇でどうやるんだろうって
 思ったんだった。もう二十年近く前の記憶が
 うっすらとよみがえってきた。

 話は舞台に戻るが、この話は簡単に言えば
 「上海で坂本龍馬が仲良しのパンダに助けられる」
 という話。(と、マキノさんが書いていた。)
 確かに、ご本人も書いているとおり
 「若気の至り」の勢いで出来上がった
 若々しいストーリーと言えるかも知れない。

 何しろ松陰先生は女で、
 松下村塾の門下生はみんな松陰先生に恋してるし、
 龍馬は上海に渡っちゃうし(そんな史実はない)
 1862年には発見さえされてないパンダと友達になっちゃうし
 むちゃくちゃである(笑)
 でも、だから、なんだよ、なのだ。

 私も若かりし頃は
 (自分で言うのもなんだが私は今で言う歴女である。
  しかもかなりうるさい。
  日本史のテスト監督に行ったら、一緒にやるのだが
  去年は生徒より出来たりしていた)
 「あの作品は史実と違う」とか
 「ここは史実上おかしい」とか
 姑みたいな態度でいろんなものを観ていたのだが
 最近は、「史実に忠実ならイイってもんじゃないしね」
 などとちょっとゆるい感じで楽しめるようになった。  
 
 描くべきなのは、人間なのだ。
 龍馬のような人間だったら、この場面でどうしたのか、
 晋作のような人間だったら、この時になんと言ったのか、
 それぞれの人間の生き様から、
 彼らが描きえなかった物語を描く。
 そのほうがずっと面白い。

 1862年の上海で、晋作と龍馬は、
 清を食い物にするイギリス人や
 太平天国の関係者や
 中国裏社会のボスに出会う。
 上海に行かなかった竜馬はもちろん
 実際に足を踏み入れた晋作でも
 あまり交流はなかったであろうと思われる
 人々である。
 そんな彼らとの交流の中で
 龍馬は実に龍馬らしく、
 晋作も実に晋作らしく振る舞う。

 アイデンティティの源が
 何にあるかは、もちろん人それぞれだろうけれど
 あの時代の人間の多くは、
 自分の生きてきた国を、今のわれわれ以上に
 強く自分の中に感じていたのではないかと思う。
 土着という意味でも、生きる世界という意味でも
 他に変えられぬ特別なものだと
 思っていたのではないだろうか。
 そんな中で、自分の国を乗っ取られる危機感を
 感じている彼らの焦燥はいかほどのものだったのだろうか。
 そして、実際に踏みにじられていた
 清の人々の切なさと、悔しさと、情けなさは
 容易には想像できないほどの激しさであろう。
 だからこそ、そこで戦う不屈の意志が
 彼らを輝かせたのであろう。
 
 現実にはあり得ないであろう
 このハチャメチャな設定から
 その輝きを感じることが出来るのが
 演劇の醍醐味なのだろう。

 若手養成公演と言うことだったが
 十分に楽しめた。
 可能なら、他の二本もいつか観てみたいなぁ・・・

 postscript
  1月31日の観劇なので、ちょっとしたら移しますので。。。

 
 
 
 
 

August 23, 2009

演劇集団キャラメルボックス『風を継ぐ者2009』@池袋サンシャイン劇場

 『容疑者Xの献身』の際の予告で
 この公演の配役が発表されたのだが
 ひとりひとりの顔が映し出されるたびに
 客席から「ほほ〜ぅ」と声が上がった。
 もちろん、私もそのひとり。
 何度か上演されている演目だと
 観る方にも登場人物それぞれのイメージがある。
 
 今までの配役を観てみると
 迅助は今井義博くんに細見大輔くん。
 不器用だけど、まっすぐな好青年。
 兵庫は西川さんに岡田くん。
 芝居を支える屋台骨役者である。
 土方はたかやん先輩に大内さん。
 まごうことなき二枚目がぼけるからこそ味がある。
 そして沖田総司は菅野良一さん。
 前回『風〜』を観た時に、いちばん心に残ったのは
 菅野さんの総司だった。
 一般的な沖田総司像は、長身の美剣士、
 労咳病みの悲劇のヒーローながら
 新選組一の使い手、といった感じだろうか。
 ところが、キャラメルの沖田総司は全く違う。
 まず、菅野さんはキャラメル男優の中でも
 かなり小柄。
 クールなイメージは全くなく、
 ずっと汗だくで肩で息をしている
 不器用だけど懸命な青年剣士。
 新鮮で、ハマった。
 それからはすっかり菅野ファンである。

 で、今回。
 迅助はジミーこと左東くん。
 なるほど、実直さが滲み出ている。
 兵庫は大内さん。
 三回目の『風〜』出演での回し役、楽しみ。
 土方は三浦さん。おっきい〜(^^;;;
 なるほど、二枚目のボケ、納得。
 そして、総司は、畑中くん!
 なによりこれにワクワクした。
 『我が名は虹』の城之内役を観たときから
 次世代の総司は絶対に畑中くんだと思っていた。
 あれから5年、私にとっては待ちに待った配役。

 そして、現実は、もちろん期待を裏切らなかった。

 幕末劇での畑中くんの魅力は、
 殺陣のときの表情である。
 刀を構えて切り掛かる寸前の笑顔。
 沖田総司もかくありなんと思わせる
 不敵とも無邪気とも評しうる表情。
 菊一文字を振りかざす鬼気迫る強さが
 その笑顔で裏打ちされる。

 鬼神のような強さの裏に隠された
 無垢で純粋な思いが
 つぐみとのやりとりで見え隠れする。
 (じっきーのつぐみもすごくよかった(^-^))
 菅野総司と岡田つぐみのときには
 キュンキュンくるような切ない恋心が
 ひしひしと伝わってきたのだが
 今回は、正直に言うと
 あまりそれは感じられなかった。
 そしてそれはそれで、かえって総司らしいなぁと
 長年の総司ファン(私のファン歴はもう30年近い(爆))
 としては感じたりもした。
 沖田総司という人は、
 あまり恋愛体質ではなかったのではないかと
 血風録などを読んでいると思う。
 飄々としていて、スポーツのように剣術を楽しんでいる
 そんなサッカー少年のようなイメージ。
 女の子に興味がない訳ではないけど
 今は、剣の方が面白いかな、という感じ。
 畑中総司は、まさにそのイメージにドンピシャ。
 畑中総司と實川つぐみは、恋というよりも
 同士のような、もっとさわやかな関係のような気がした。
 ただ単に私が畑中ファン過ぎる、ということもかもしれないが(爆)

 と、迅助にほとんど触れない
 『風〜』の感想は終わるのであった(超爆)
 
 
 
 
 
 
 
 

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雅俗共賞〜最近観た映画〜

  • 真珠の耳飾りの少女
    :
    光の変化を感じ取るものと、そうでないもの。それを人々は「芸術を解するか否か」と表現するのだけど要は感性の問題。美とか快とかいうものの一致こそが人を理解する根本を成すのだと思った。映像がもの凄くきれい。 (★★★)

音吐朗朗〜最近聴く音楽〜

  • 雪月花
    YUMING: WINGS OF WINTER,SHADES OF SUMMER 
     時に、出会いは偶然。4年も前に発売されたこのアルバムを、今日、このタイミングで初めて聴いたのも、偶然。十代の頃から、ユーミンの曲の「やさしさに包まれ」て、歌詞の鋭さに突かれて、何度も窮地を切り抜けてきた。今回も、きっと背中を押してくれるね。どんな状態になっても、私らしく、凛といること。そうきっと「悲しみにも時は流れ 海へと注いでいく」のだから。 (★★★★★)
  • 『愛と欲望の日々』&『Lonely Woman』
    サザンオールスターズ:
    『大奥』のようなドラマを軽やかにするのはサザンしかいないのかも。女の情念なんてハレルヤ!ってなもんかな。きらびやかなジャパネスク調のサザン(世は万葉あたりね)、実はかなり好き(^-^)『Lonely Woman』は秋冬のサザン。実はサザンは全天候型なのよ(笑)(桑田さんは雨男だけど) (★★★★)
  • 乙女ノックアウトナイト
    比屋定 篤子: ひやじょう
    久々発売の4thアルバムのお気に入りの曲。もう大分前からライヴでは歌われていたけど、毎回このテンポにくらくらでした(^-^)レコード会社の人からこの題名は・・・と言われたらしいけど、この題名あってこそ、だと思う。オザケンの『東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディーブロー』を思わせますです。 (★★★★)
  • ミモザ
    ゴスペラーズ:
    最近、どれを聴いても同じに聴こえる(爆)新しい刺激が欲しいよぉ。でも、サビの黒ポンの声は良いね。あとCMの唐沢くんもね。 (★★)

錦心繍口〜最近読んだ本〜

  • J・K・ローリング: ハリーポッターと秘密の部屋
    ハリーポッターシリーズは、話題になってすぐに1作目を読んだのだけど、正直、あまり興味が持てず、そのままにしておいた。が、最近、生徒と面接の練習をしている時に「教育学部に行きたいと思ったのは、ハリーポッターシリーズのダンブルドア校長先生の影響があります」というのを聞いて、改めて読んでみようと思った。この巻でも、自分がスリザリンと関係深いのではないかと悩むハリーに、「大切なのは、どう生まれたではなく、何を選ぶかだ」と助言するところがいちばん心に染みた。なるほど、教育指南書として読むハリーポッターもありだな、とシリーズ読破を試みている。それにしてもロックハートは、ひどすぎる教師だ(笑)
  • 竹田 青嗣: 「自分」を生きるための思想入門
    思想とは、社会的には人間に「正しいこと」を教えるものではなく、社会の中で絶えず「より合理的な関係」を作り出していくための“技術”であり、実存的には、個々の人間が、自分の生全体から「より大きいエロス(生きる喜び)」を引き出すための有効な“技術”であるという主張には、目から鱗が落ちた。自分が目指す生き方のために、様々な思想家の思想をどう理解し、どう選び取るか。哲学とはかくも実用的なのかと感動した。さて、私は、何をえらべばいいのか。それこそ、自分でしか決められない実存的問題なのである。 (★★★★)
  • 鈴木 真砂女 ・黛 まどか : 恋がすべて
    新旧女流俳人対談集。鈴木 真砂女という名前は知っていたが、こんなにも壮絶な恋をした人だったとは・・・その激しさと、強さと、美しさに号泣。魂が惹かれあうというのは、きっとこういうことを言うのだろうな。そんな巡り会いがひとつあれば、人はしあわせなのだと思う。黛さんも、そういう恋が出来るといいですね(笑) (★★★★)
  • 小谷野 敦: モテない男
    ものすごく面白くて、旅行中に二日で読み終えて、友人に押し付けてきた(笑)「恨み言」的な体裁を取りながら、しっかり分析されているところが流石。「恋愛はしなくても生きていける」と提唱したいけど出来ないジレンマが面白かった。(なんて言ったら怒られるかも)私はやっぱり本居宣長派の恋愛至上主義です(^^; (★★★★)
  • 養老 孟司: バカの壁
    今更ですが(笑)これって、ベストセラーなんだよね?一昨年、日本でいちばん読まれた作品なんだよね?こういう「もっともなこと」の溢れた本がそんなに売れてるのに、こんなにどうしようもない社会なのは何故なんだろう?(^^;「個性」についての考え方など、とてもわかりやすくて的確だと思いました。 (★★★★)
  • 瀬尾 まいこ: 図書館の神様
    文学音痴のでもしか国語教師が主人公。結構いるんだよね、実は(爆)私、もの凄く苦手なんだけど(爆)でも、まぁ、現代的には響きやすい話なのかもしれない。これをきっかけに漱石や周五郎を読む人が出れば、それはそれで良いのでしょう(^^; (★★★)
  • 小谷野 敦: 性と愛の日本語講座
    近現代文学における性愛に関係する言葉を、まじめに調べた一冊。下世話に思える言葉であろうと、いくつもの出典に当たって読み解いて行く作業はまさに国文学。大学でやってたことを思い出して楽しかった(^-^) (★★★★)

気韻生動〜最近観た舞台〜

  • Dr.TV
    福澤一座:
    福澤一座の第二回公演。言葉とテレビにこだわったこの作品群は、これからも小さなエピソードを繋いでいく形なのかな?正直言って、去年の方が面白かったなぁ(^-^;)しかし、森圭介アナはやっぱり好み(^^;一瞬「畑中くん?」と思う部分があって、やっぱり好きなタイプが似ていることが判明。結局ショタコンか(爆) (★★★)
  • SHIROH
    劇団☆新感線:
    歌うような台詞、とよく言うが、歌がきちんと台詞になっていることに感動。上川さんはとても歌が上手いと言う訳ではないのだが、すごくまっすぐに体に染みてくるのだ。『マイ・フェア・レディ』の レックス・ハリスンみたい。もう一人のシロウ、中川くんはもの凄く歌がうまかった。そして、ロック。それから迫力の群舞。すごい。少しは見習え<『クラ○ディア』(爆) (★★★★)
  • 『スキップ』
    演劇集団キャラメルボックス: タイムトラベルシアターVol.1
    都合三回鑑賞。一度目は現在の自分に重ね合わせて観てしまって号泣。二度目は少し冷静になり、自分が頭の中でだいぶ補って見ていること気付く。それでも、告白されると泣いてしまう(;_;)3度目の千秋楽は、坂口さんの熱演にまた引き込まれ、クライマックスでやっぱり涙を禁じ得ない。とにかくさわやかに泣けた。演劇としての構成の問題などはあるのだろうけど、小説も含めて十二分に『スキップ』の世界を堪能できたことに感謝。 (★★★★)
  • 沖縄ラーメンズライヴ
    ラーメンズ:
    『沖縄ラーメンズライヴ  サーターアンダギーは見かけのシンプルさの割に名前が長過ぎ  A&Wは貴方と私の略。  ラーメンズにとって沖縄が楽園になるかどうかは客次第』 やっぱり頭の良い人の考えることは面白い。 (★★★★)
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