渓嵐国泰山海紘宮

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映画・テレビ

May 06, 2014

ネブラスカ 二人の心をつなぐ旅

昨日、出かける前に8時近くにしか帰れないことを伝え、
夕飯がその後でいいか確認をしてから出かけたのに、
映画館から出たら着信の嵐。

80歳近くなった父は最近、物忘れが酷いのはもちろんのこと、
自分のミスを認めなくなってしまい、毎日小さなトラブルが後を絶たない。
そんな中で本日鑑賞した『ネブラスカ〜ふたつの心をつなぐ旅』。
年老いた父母と付き合うことが、いかに大変で、
それでいて外から見たら微笑ましいものかつくづく感じられる映画だった。
思い込み、こだわりがどんどん強くなって、客観的視点がどんどん弱くなる。
それはきっと誰にでも訪れることで、特別なことではない。
それに、私にとってはそういう子どもたちの居場所をどうやって作っていくかは
仕事の中で毎日考えていることのはず。
でも、在りし日の立派な姿を記憶している父母に対しては
同じ気持になかなかなれないんだよなぁ。
・・・と思いつつも、やっぱりこの変化を嘆くだけではなく、
チャンスにしていくことを考えることが、お互いのために必要なんだろうな。

とてもシンプルなのだけど、そのために必要なのは、
やはりしっかりと向きあうこと。
理由はともあれ、父親とふたりきりで旅に出て、
父が若かりし日を過ごした場所で若いころの父を知る人々と出逢い、
父親がどんな人生を歩んできたのかを噛み締めた息子は、
父との出会い直しを果たしていく。

人に歴史あり。
どんな人にも、その人を培った経験があり、
それを知ることでおおらかな気持ちになれる。
あまりハリウッド映画ではお目にかかることのない
さびれたアメリカの田舎の風景がモノクロで映しだされるのも、
その「歴史」にリアリティを感じさせる。
切ないテーマながら、そこここに散りばめられたユーモアが、
決して重苦しくせずに二時間を楽しませてくれた。
ギターが印象的なアコースティックな音楽も素敵だった。

両親のお守りに疲れてる人にはおすすめです(^^;;

April 27, 2014

タンゴ・リブレ 君を想う

 人間関係というものは、生きているとそれなりにややこしくなってしまうものであるが、
 映画や小説にはこれまたなかなか出会わない複雑な関係が描かれるのが常だ。

 『タンゴ・リブレ 君を想う』で描かれるのも、映画中盤まで明かされない実に不可解な関係性。
 それが明らかになるに連れて、いかに微妙なバランスで、
 その関係が積み重ねられていたかが身につまされる。
 舞台は、どうもベルギーのどこかの刑務所らしいのだけれども、
 田舎特有の狭い人間関係の中でこじれてしまいながらも、
 それを編み直すこともできない、諦めを含んだ気怠い閉塞感が映画を支配している。
 
 そんな雰囲気に風穴を空けるのがアルゼンチン・タンゴだ。
 踊る、という行為は人間にとってどんな意味を持つのだろう。
 文化祭や体育祭で踊る高校生を見ていると、
 なんとも心打たれてしまうのだけれど、その訳は自分でもよくわからない。
 わからないのだけれども、やはりグルーブと呼ばれるものに呑まれていく、
 個を超えた大きな何かを体現していくその様子が、
 なにかしら魅力を放っているのは確かだろう。
 そして、傍観者としてではなく、その只中に身を置くとき、
 そのことばにしがたい魅力に、感電するように圧倒されていくもののように思う。
 この映画は、そういう踊りの魔力のようなものが、
 微妙に保たれていたバランスを打ち破っていく物語である。

 ラストの直前まで、歪な、それでいてありふれていると感じてしまう
 恋に浮かされた男の愚かな振る舞いのもとで、後味悪く幕が下りるのかと
 多少なりともうんざりしていたのだが、
 最後の数分間で、なんとも不思議な爽快さが醸しだされる。
 私にとってはとても意外なラストだった。(勘が悪いだろうか・・・)
 そして最初の関係はますます複雑に微妙になっていくのだが、
 それがなんとも映画的だ、と、してやられたことに思わずにんまりしてしまう。
 それを成功させるのは、ヒロインの魅力だろう。
 欠陥だらけのひどい人間性を描きながらも、
 これだけ破綻に満ちた物語を収束させるだけの魅力を醸すヒロインを演じ、
 さらに脚本も手がけたという稀有な女優の存在が、
 この映画の肝だといえると思う。
 
 
 

December 08, 2013

かぐや姫の物語

今は昔竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて、竹をとりつつ、よろづのことに使ひけり。

岩絵具で描かれたような淡い色彩の中に『竹取物語』の冒頭文がそのまま流れ込み、空間ごと平安初期へと溶け入る。
そこは、自然と共鳴して生きる狩猟や農耕で成り立つ社会に住む人と、その他人の営みに依存しながら違う価値観の中で都で暮らす人々が分岐し始めた、いわば資本主義社会の萌芽のような世界である。

『竹取物語』では、姫は翁に見出された「三寸ばかりなる」「いとうつくし」い様子のまま、「妻の嫗にあづけ」られ、「いと幼ければ籠に入れて養」われる。
しかし、この映画では、普通の赤ん坊に姿を変え、桃を食べて若返った桃太郎のおばあさんよろしく、媼の乳によって育てられる。
育児の過程も原作では、「三月ばかりになる程に、よきほどなる人になり」「髪上などさだして、髪上せさせ裳着す」ることになるし、「帳の内よりも出さず、いつきかしづき養ふ」という箱入り娘ぶりだが、映画では、おしりも丸出しのまま近所のこどもと野原を駆け回りながらのびのびと育つ。「たけのこ」と呼ばれるほど周りの子どもとは成長の早さが違うが、髪上げをするまでには原作の約三倍の時間がかかっている。

約19000字の『竹取物語』の中で、髪上げの儀式までの描写は約560字。約2%に過ぎない。しかし、映画では、ここまでに約半分の時間を割く。この「育ち」の描写が、テーマと深く関わってくるからである。

映画の中のかぐや姫は、髪上げの儀式に際し、眉を抜きお歯黒をすることに対して「汗が目に入ってしまうし、口を開けて笑ったら変だ」と抵抗を示す。もちろん原作にはないエピソードだ。かぐや姫が拒絶を示すその理由はただひとつ「人として生きていくのに不自然なことを強要されるのは嫌だ」からである。しかし、教育係の相模は「高貴な姫君は汗などかかないし、大きな口を開けて笑わないものです」とその「不自然さ」こそが価値であると主張する。前半、何度も繰り返される「高貴な姫君」というワードは、姫を自然から切り離していく都の生活の象徴である。

育ての親である翁は「高貴な姫君となり、しかるべき公達に娶られること」こそが姫の幸せだと信じて疑わず、それを推し進めようとする。それは私が出会う「いい大学に入り、いい就職をすること」こそが子どもの幸せだと主張する親たち(そしてそれをひときわ強く主張するのはやはり父親が多い)となんら変わりはない。隣にいる子がどんなに悲しそうな顔をしているかに関心がないように見えても、彼らは子どもをちゃんと愛している。だからこそ、子どもにとってはたちが悪い。愛してくれる親のために、なんとか期待に答えねばと思う。自分は「子ども」なのだから、親の言う「価値」が理解できないだけなのだ、今はおとなしく言うことを聞いたほうがきっといいのだ、と思おうとする。髪上げをするかぐや姫は、普通の年齢で言えば13歳前後。価値観の違う聞く耳を持たない親に、自らの主張をぶつけるのは、難しい年齢である。原作でも五人の貴公子と「逢う」(は古語では「結婚する」の意を持つ)よう姫に「我子の佛變化の人と申しながら、こゝら大さまで養ひ奉る志疎おろかならず。翁の申さんこと聞き給ひてんや。」と頼む翁に、姫が「何事をか宣はん事を承らざらん。變化の者にて侍りけん身とも知らず、親とこそ思ひ奉れ。」と答えて、条件を言い出すことになっている。

 父子の価値観のすれ違いは、母によって取り持たれる。翁の妻媼は、夫の思いを汲み都に移り住みながらも、家の裏に「山の暮らし」を疑似体験できる小さな庭を作ることで、姫の心の拠り所とさせる。姫は自分のことを思って父が強いる「不自然」生活で生じるストレスを、母の守る「自然」で癒やすのである。そしてこれもまた、私が出会う親子によくある関係性である。(もっとも、父と母が逆の場合もあれば、両親共にストレス要因になってしまって逃げ場のない子もたくさんいるのだが。)しかし、かぐや姫は気づいてしまう。否、気付かされてしまう。翁のためと言い訳し、自分の思いをきちんと正攻法で遂げようとしなかった自分の罪に。媼の側でミニチュアの山を愛でては、ほんのひと時ストレスから解放されたことで「この生活」に満足していると自分をごまかしてきた罪に。帝に抱きすくめられ、決定的な嫌悪感を抱いてしまった瞬間、自らの手でそれを解決することなく無意識ながら「月」に助けを求めてしまったことで、それが自分がこの地に使わされる原因である「罪」であったと気付かされてしまうのだ。

 原作では姫を迎えに来た天人が「かぐや姫は、罪をつくり給へりければ、かく賤しきおのれが許にしばしおはしつるなり。」と言う。しかし、その罪の具体的な内容に関する記述はない。授業で取り上げるときにも、生徒がとても関心を持つ部分であるが、何の根拠もないので今まで触れたことはなかった。しかし、この罪を映画にそって考えるとするならば、物語は一気に現代性を帯び、我々の胸に迫る。311で、私たちは自らの限られた生を思い知らされた。当たり前に続くものと思っていた日常が突然断ち切られるどうしようもない傷みと悲しみを、あの地震と津波をリアルタイムで目撃した私たちは、誰もが自分のことのように感じたはずだ。そして、今のこの時をどれほど大切にしなければならないかに思い至ったはずだ。しかし、二年半を経た今、自分の中でどれだけ意識的にあの思いと向きあっているだろうか。日々の生活の中で、結局取り紛らわせてしまっているのではないだろうか。仕事が忙しい、大事なのはわかるけど、なかなか思うようにはできるものではない。いつも自分自身に言い訳ばかりして、ごまかしてしまっているのではないだろうか。

 月の世界は何の苦しみも、何の悲しみもない「清ら」な世界である。それは、月からの迎えの奏でる一点の曇もない底抜けに明るい音楽に象徴されている。その苦しみや悲しみのない世界を「退屈」に思ってしまい、混沌とした地上に憧れてしまったのがかぐや姫の罪だと高畑監督はパンフレットに書いておられたが、それを読み、私の感じたものが間違いではなかったと確信できた。人の世には「苦しみ」があり「悲しみ」があり、いわゆる仏教の「愛別離苦」が存在するからこそ「生」への愛おしみが生まれる。「苦しみ」や「悲しみ」がなければ「愛」もまた生まれない。月の世界はその全てがない清浄な世界であるが、言い換えれば清らかすぎて面白みもない世界なのである。だからこそ、かぐや姫は地上に憧れもしたし、地上を愛おしくも思った。しかし、そこで起こる「苦しみ」や「悲しみ」を自ら乗り越えることを放棄してしまった時に、「苦しみ」や「悲しみ」がない方がいい、月の世界の方がいいと思ってしまったとされてしまったのである。蛇足だが、原作には無論、帝との一件が帰される理由であるというような因果関係は書かれていない。高畑監督ならではの見事な読み解きだと感服しきりである。

 そうなると、限られた時間の中で姫が求めるものは、月の世界には存在しない「愛」だ。姫にとって何にも代え難い愛しき日々である幼いころを共に過ごした捨丸兄ちゃんと、抱き合って空を駆けるシーンは、とても清々しい、それでいて艶かしいラブシーンだ。たった一度だけの、しかし、生涯消えない、記憶を消されても体に刻みつけられたよろこびを抱いて、姫は月へと昇るのである。ここに来て、主題歌の『いのちの記憶』の歌詞がじんと胸に染みこむ。「いまのすべて」は「過去のすべて」であり、「未来の希望」でもある。そんな「いま」を生きなければ、「過去」も「未来」もないのだ。その重みが、美しい映像とともに体に流れ込む。今一度、立ち止まって、いまをみつめよう。そう思わせてくれる素敵な映画だった。


September 23, 2012

少年は残酷な弓を射る

少年は残酷な弓を射る

全編、恐怖と緊張感に貫かれて
息苦しくて仕方がなかった。
見ていて幸せになるものでは決して無いけれど
数日間うなされそうなインパクトがあるという意味では
凄まじい表現力を持った映画だといえる。

冒険家で作家のエヴァは、ケヴィンを妊娠したことによって
(世の母親と同じように)多くのことを諦めることになる。
そんなエヴァの気持ちを見透かすかのように
ケヴィンはエヴァだけに激しく反抗し、執拗に嫌がらせを続け、
16歳になる直前に、彼女のすべてを破壊し尽くすような事件を起こす。

ケヴィンの常軌を逸した振る舞いや表情に
こんな子供が自分の身内だったらどうすればいいのだろう、という思いに駆られ
身を斬られるような息苦しさに苛まれる。

なんでこんなことに・・・?
こんな恐ろしいことが、「私」には降りかからないという保証が欲しい。

ケヴィンが生まれながらにしての性格異常者だから。
そう片付けてしまえば簡単だ。
しかし、そんなことでは片付けられるのであれば
この映画はここまで恐怖を感じさせるものになっていないだろう。

ケヴィンが生まれたことを「心から」喜べないような
母親の愛情の不足が息子に伝わったから。
終始エヴァの視点で描かれているため、
この映画にはその自省の念が溢れている。
いや、「自省」というのは少し違うかもしれない。
私のせいなのか、私のせいなのかもしれない、でも・・・
エヴァの思いからはいつも「but」が抜け切れない。

確かに、完璧な母親ではなかったかもしれない。
だけど、こんな悲惨なことになるほど、ひどい母親でもなかった。

確かに一点の曇りもない愛情は注げなかった。
だけど、そんな母親は他にもいっぱいいるはずだ。

それは、外から見ていても正当であると思える。
しかし、それだけに、ここに描かれた悲劇が「特別」でないように思われてくる。
それが、恐怖の中心だ。

エヴァはずっとどうすればよかったのか自問し続ける。
しかし、その答えは堂々巡りで見えない。
正論を言うばかりで、エヴァの違和感を無視してことをすすめる夫との関係も
一つの要因だ。
仕事をしてた時のほうが幸せだと思ってしまう自分の気持ちのやるせなさも
それを見透かすかのように母が壁紙にした地図を汚すケヴィンの振る舞いも
多くのことがからみ合ってのこの不幸を、
断ち切れる気がしない絶望感に苛まれるだけだ。

ケヴィンの凶器となった、そして邦題にある「弓」も、また示唆的だ。
幼い時に病気になった時、急に素直になり母に甘えたケヴィンに
エヴァが読み聞かせた『ロビンフッド』に出てきた弓。
翌日、元気になるといつもの陰険さを取り戻すが、
弓への興味はさめず、父親に弓のセットを買ってもらって、
喜んで遊ぶのである。

病気の時だけ正気に戻る、というこの逆転(もむろんエヴァの視点だが)も
その唯一の正気が残したものが「弓」であったというエピソードも
噛み締めるとぞっとする。
そして何よりも、ラストのケヴィンの
「やった時は、理由がわかってる気がしていたけど、
 (2年たった)今はわからなくなった」ということば。
その表情は、あまりに儚げで、普通の少年なのだ。
恐ろしい目の光と、不気味なまでのもの食う姿を晒していた
あの凶悪な少年と同一人物とは思えないほどに。

赤という色の持つパワーで幕をあけ、
その色の煽る恐怖と凶悪さを見せつけて、
最後は真っ白いスクリーンが浮かび上がった。
赤と白のように割り切れないものが、
ふたつの色の強烈な印象で逆に浮かび上げられた。
そんな映画だった。

August 25, 2012

映画:るろうに剣心 #ruroken_movie

『龍馬伝』の第1話を見た時の衝撃は、忘れられない。
埃まみれの袴、ほつれまくった総髪、日に焼けた肌、
ああ、幕末の志士はかくありなん、と
長年焦がれ続けたビジョンが目の前に現れた気がした。

中でも魅了されたのが、佐藤健演じる岡田以蔵。
もともと以蔵は好きな人物なのだが、
そうか、これだったんだ、と思えた。

武市半平太に身も心もすべて捧げて仕えながら
「理もないくせに」と蔑まれ、
「儂は難しいことはわからんきに」と
寂しそうに微笑む岡田”佐藤健”以蔵は、
触るれば斬れる鋭さと、常に死の淵にある儚さを併せ持ち、
その薄汚れた出で立ちさえもまるごと、
なんとも魅力的であった。

最初に配役を知った時は、
可愛らしすぎるのでは?と思ったのだが、
今や、岡田以蔵は佐藤健以外考えられないと思っている。

幕末好きでありながら、
あれだけ一世を風靡した『るろうに剣心』については
ほとんど知らなかったのだが、
佐藤健主演で映画化されると聞いて、至極納得した。
「人斬り」でありながら「細身で童顔」の儚げな元志士。
岡田以蔵に重なるその人物を、あの佐藤健が演じる。
しかも、監督は『龍馬伝』の大友啓史。
これは見るしか無い、ということで
珍しく先行上映に行ってきた。

幕は鳥羽伏見の戦いに開ける。
戦闘シーンの迫力はまぁ書くまでもなく(私には過多に感じられたけど)
その荒涼とした戦場にすっと立つ佐藤健の姿は
「人斬り抜刀斎」などという物々しい名にはとても似つかわしくない可憐さ。
倒幕軍が錦の御旗を手にしたことで、
「終わった」と刀を捨てるその動作だけで、
今までの苦悩を全て表現し、物語の本筋へと誘う。

ストーリーは、幕末に「人斬り」として名を馳せた緋村剣心が
明治10年代、逆刃刀なる反りと刀背が逆になった人を斬れぬ刀を下げ、
自分の身近な人を守っていくうちに巨悪を倒す、という
シンプルなものだが、それを補って余りあるキャラクターの魅力が溢れている。

くわえ煙草で、刀を振り回す江口洋介演じる斎藤一は
そのヤサグレ感が、実に敗戦の将、新選組三番隊長らしく、
明治になって警察官になった後にも、その匂いが上手く残っていて
影の主役と呼ばれるのも納得の佇まいだ。

剣心の右腕となる喧嘩屋相楽左之助は青木崇高。
『龍馬伝』の後藤象二郎でもあるが、私にとっては
モジャモジャ頭の落語家草々さん、である青木くんは
今回もとてもワイルドな役回りである。
胸中に闇を抱える剣心とは対照的な
晴れた夏空のようにスカッとした気性が、
見る人に安心感を与えてくれる。

剣心&左之助が立ち向かうは、
「抜刀斎」の名を名乗り惨殺を重ねる鵜堂刃衛役は吉川晃司。
この人の狂気が映画をもり立てたのは言うまでもない。
とにかく本気で恐い。
眼力で妖術をかける役柄なのだが、その眼の力が尋常ではない。
刀が血を欲しがっている、という台詞の通り
人を殺すことを楽しんでいる様子は、
胸が悪くなるほどに真に迫る。
青木くんもだが、やっぱりタッパがあるのは、大きい。

鵜堂とはまた全く別の不快感を感じさせるのが
香川照之演じる武田観柳。
まずは役名に苦笑。
新選組好きなら誰もが「ああ、惣三郎・・・」と思ったはず(笑)
一般的には、『御法度』な人かな。
まぁ、もちろん、武田観柳斎は幕末に切腹しているので
名前にイメージを借りただけだろうが
綺麗に切りそろえた妙な髪型といい、
拝金主義を絵に描いたような言動といい、
絵に描いたような悪役。
香川さんはやっぱり抜群の存在感だ。

そして、何より、やっぱり佐藤健。
細身の体に赤い着物を着崩し、長い茶髪をゆるく結わえて
実に迅速に動く。
動きもすごいのだけど、何よりも表情。
健くんは目がいいと思っていたのだが、
今回、口元の演技に魅了された。
ほんの少し口角を上げると、華奢な顎が強調された
なんとも淋しげな笑顔になる。
原作特有の「〜ござる」や「おろ?」というような
実写では白々しいだろうと思われるような台詞回しさえ
なんだか馴染んでしまうのだからすごい。

いちばん素晴らしかったのは、二度と人を殺めないという決意を
覆した瞬間の狂気をはらんだ表情。
その一瞬の変化に息を呑む。
あの瞬間を大スクリーンで見るだけでも価値がある。

大方、合格点だと思うが、難を言うならば・・・
薫の魅力が感じられなかったこと。
剣心が何故そこまでして薫を守りたいのかが
残念ながら伝わってこない。そこが痛い。
薫が蒼井優ちゃんのほうがよかったんじゃないだろうか・・・・
近年の若い俳優さんは、すごい人が多いけど
女優さんが追いついてない感じが否めない。
20代前半の実力派女優がほしいなぁ。
個人的には福田麻由子ちゃんに期待している。

July 25, 2010

NHK杯高校放送コンテスト全国大会〜結果報告〜

 
 7月22日〜24日に行われた
 NHK杯高校放送コンテスト全国大会に
 生徒6人を引率して行ってきた。

 映画研究部副顧問歴3年目になった今年、
 正顧問が変わった。
 映研を立ち上げた生物の先生が転勤してしまったのだ。
 彼とは校務でも学年主任と担任という立場で
 二年間組んで仕事をしたが、
 生徒は自由闊達に、自主的に行動できるように育てたい
 という意識が似ていたので、
 とても良い学年集団ができた。
 本人もすごく自由で、高校教員には珍しいタイプだったが
 映画、映像が好きで、
 どうせやるなら好きなことを、ということで映研を
 立ち上げたくらいなので
 指導力もピカイチで、数々の華々しい実績を残していた。
 彼が指導していた8年間のうち、
 NHK杯高校放送コンテスト全国大会
 創作テレビドラマ部門にて
 3回準決勝進出。(全国20位以内)
 私が副顧問になってからは、初年度が5位入賞、
 去年が3位入賞と徐々に順位を上げてきた。
 
 しかし、今年は彼がいない。
 巷の運動部を見れば、一目瞭然、
 指導者を欠くと部活は途端に弱くなってしまうことが多い。
 私は、映画だの芝居だのを数だけは見ているが
 技術的なことはさっぱりわからないし、
 新しく顧問になった先生も、転勤したK先生ほどは
 詳しいわけではない。
 当然、部員たちにも不安はあったことであろう。

 しかし、指導は教員でなくてもできるはずである。
 本来ならば、先輩が後輩に技術を伝えていくのが
 部活動の目的の一つであろう。
 転勤前にK先生は
 「顧問がいるから強い、では本当のちからではない。
  後輩を指導して受け継いでいけないと名門ではない」と
 いつも言っていた。
 引率くらいしかできない私としては、
 心苦しいばかりだったが、
 部員たちは、そういう時間の流れもすっと受け止めて
 今年の作品を作った。

 Nコンでは、決勝に残る上位3作品の発表が、
 NHKホールの大スクリーンで映し出される。
 その感激と言ったら、言葉に出来ないと
 去年K先生から聞いていた。
 そして今年、沖縄、そしてうちの高校の名前が
 再びスクリーンに映し出された。
 確かに、あの時の高揚感は、筆舌に尽くし難い。
 私は二階席で、一年生3人とともに、喜びを噛み締めた。
 番組部門の最後に、決勝に残った作品3本が映し出された。
 NHKホールのプロジェクターは、思いのほか暗く、
 ホームビデオで撮影したうちの作品は少し見劣りしてしまった。

 それでも、講評では、いちばんに名前を呼ばれ
 素晴らしい発想、シナリオだと賞賛された。
 自然、胸が高鳴る。
 そして、結果発表。
 与えられたのは、準優勝。
 NHK杯の四分の一くらいの大きさのカップだった。
 満足だとはもちろん言えない。
 だけど、スポーツとは違い、映像作品なんていうものは
 審査員の好みに左右されるところがどうしても大きくなる。
 準決勝に残った時点で、実力は認められたということで、
 決勝に残るのも、優勝するのも、
 半分は運のようなものだという。
 それでも、やっぱり、上があれば悔しいのが現実。
 監督をした子は、優勝作品を絶賛しながらも
 「うちのほうが好きと言ってくれた人もたくさんいたし
  脚本を褒められたし、いいんです」といいつつも
 やっぱり満面の笑顔とは言えなかった。

 それでも、 
 「ひとつ上は、1年生に残したんだよね」と
 私が言うと、にっこり笑って
 「もちろんです」と言ってくれた。
 今年、研究発表で参加していた1年生は
 「来年の作品は監督やりたいです!」と言っていた。

 今回一緒に参加した大先輩が
 「顧問は転勤1年目が勝負」だとおっしゃっていた。
 K先生、お疲れ様でした。
 素晴らしい部に育ってますよ。
 

 
 

 
 
 
 

July 18, 2010

トイ・ストーリー3〜ネタバレバリバリ〜


 妹&甥(5歳)&姪(2歳)とトイ・ストーリー3を見てきた。
 もちろん3Dである。
 でも、3Dって、何度か見るうちに、
 見始めはやっぱりすごいんだけど
 そのうち思いっきり慣れちゃうなと思ってきた。
 2Dでも実はあんまり変わらないかも…

 まぁ、そんなことはともかく、『トイ・ストーリー3』。
 面白くないワケがない。
 1は家でビデオで観たのだが、
 クライマックスでは思わず立ち上がってしまい
 一緒に見ていた妹の失笑を買った(笑)
 後にも先にも、あれほど興奮した映画はなかったりする(^^;;;

 正義感あふれ、何よりも
 持ち主のアンディとなかまを大切にするウッディ。
 冷静で渋い大人のバズ・ライトイヤー。
 そんな二人を中心に集うアンディのおもちゃ箱の住人たち。
 しかし、アンディはもう17歳。
 大学に行くにあたり、おもちゃたちを整理するように言われる。
 大学に持っていくのか、屋根裏にしまうのか、
 はたまた手放してしまうのか。

 いつもの手違いから(笑)
 おもちゃたちは、スペクタルな旅に出る。
 今回の彼らの敵は、
 保育園のイモムシ組の子供たち。
 おもちゃの使い方もわからない
 お子ちゃまの相手をしていたら
 一週間と体が持たない。
 なんとかチョウチョ組に行きたいのだが、
 そこには、仕組まれた陰謀が…

 ピクサーの映画の凄さは、
 ジョブズのこだわり故なのだろうけど、
 本当に細部まで気が配られていること。
 たかがアニメ、とは絶対に言えない
 綿密なキャラクター構成と関係性が、
 実にリアルだ。
 ロッツォ・ハグベアの心の痛みは
 「必要とされない」ものの受けた深い傷を
 抉り取るように描いている。
 自分だけではとても受け止められない
 悲しみと切なさのために、友人たちを道連れにしてしまう、
 そして、助けてくれた人を再び裏切ってしまう
 その深い心の闇は、単に責められるものではなく
 私たちの普段の生活を問われているように感じた。
 使えなくなった、飽きた、なくしてしまった、
 新しいのを買えばいい。
 そんなことを、実際始終している。
 モノを大切に、なんて言葉にしてしまうと陳腐なのだけど
 モノに心があると考えるだけで
 こんなにも胸がキュンキュンするのだと
 身を持って感じさせてしまう凄さがトイ・ストーリーにはある。
 観終わったあとに甥っ子が「めい(甥の名前)のおもちゃも
 夜に、お話してるかもね」と言っていたのだけど、
 本当にそんな気に(大人も)させられてしまう。
 ほんとに、切なくて切なくて仕方ないのだ。

 後半、アンディが家を出てからは涙が出て仕方がなかった。
 かなり長い間、アンディが、ボニーと一緒に
 ウッディたちを使って遊んでいる間もずっと
 涙が止まらない。
 おもちゃたちと遊ぶことがつまらなくなったわけでは
 決して無いのだ。
 ただ、ただ、遊んでいる時間がないだけなのである。
 アンディの頭の中には、まだ、ウッディたちと繰り広げた
 壮大な物語が溢れている。
 だけど、別れねばならない。
 それは本当に切なくて悲しくてたまらなく胸が締め付けられるが、
 誰もが通らねばならない分岐点なのだ。
 妹も隣の席で泣いていた。
 でも、イモムシ組に近い姪のなおは
 飴ちゃんを食べるのに夢中だったし
 めいも別に悲しくなかったと言っていた。
 そう、あれはその道を通ってきた人間だけが感じる
 どうしようもない切なさ。
 きっと十数年後には、めいも同じ気持であの場面を見ることだろう。

 エンディングで、イモムシ組の子たちの相手を
 交代で務めるおもちゃたちの様子が描かれていた。
 心が暖かくなる。
 大変な仕事を、誰かに押し付けて、
 それで潰れてしまうものが出てきたってかまやしない、
 そうしなくては自分たちの生活を守ることなど出来ないのだから、
 というような生き方をしていたチョウチョ組にいたおもちゃたちも
 しんどい仕事をちゃんと少しずつ引き受けている。
 そうやって共同してつながって生きていくこと、
 きちんと、そんな解決策を提示してエンディングを迎える
 この映画が、本当にたまらなく愛しい。
 早くDVDにならないかなぁ…

 
 
 

April 05, 2010

シャーロック・ホームズ


 三日続けて映画館通い。
 今日は『シャーロック・ホームズ』。
 仕事帰りだし、そんなに重くないヤツを・・・と
 思ったのだけど、
 名作二本の後だとちときつかったかな(^^;;;
 
 シャーロック・ホームズと言えば
 イギリス紳士の代名詞。
 ソフィスケートされた頭脳明晰の名探偵。
 しかし、この映画では
 結構な肉体派。
 見事な観察眼で、攻撃法を瞬時に計算し
 ほんの数秒でそれを寸分違わずやってのける。
 そう、これはアクション映画だったのだ。

 アクション映画ってダメなのである。
 アクションを見てると眠くなってしまう。
 だって、話が進まないから
 見て無くてもいいかぁ・・・と思っちゃうんだよね。
 (人が殴り合ってるの見るの好きじゃないし・・・)
 今日も、やっぱりちょこっと落ちてしまった。
 で、復活して見始めても
 まぁそんなに分からなくもならなかったので
 よかったけど・・・

 まぁ、個人的に言うと、
 このホームズはあんまり好みじゃない。
 そもそも私は体育系より文化系男子の方が
 好みだからなぁ・・・(大人になってからだけど)

 というわけで、この映画だと
 ドクターワトソンの方が好きである。
 冷静だし、大人だし。
 まぁ、主にルックスの問題かも(笑)
 なにしろ天下の二枚目ジュード・ロウ。
 見とれちゃうよね(笑)

 クライマックスでの空中戦は
 あたかもスパイダーマン。
 確かに大画面なら見応えアリ、かな。
 でも、WOWOWで十分だったかな、という感もあり。
 結構美術とかは凝ってて
 オールドイングランドでいい感じなのに
 中身はハリウッドでどうもアンバランス、というのが
 正直な感想。
 
 映画って難しいんだなぁ。
 お金かければいいってものでもないし
 いい俳優が出てればいいってもんでもない。
 まぁ、好みの問題ですけどね。
 

 

April 04, 2010

しあわせの隠れ場所(ネタバレバリバリ)


 何年か前に横浜中華街で
 怪しいいでたちのおじさんに呼び止められ
 「あなたは、何か音楽に関することをしておけば
  とても大成したのに、もう遅い」と言われた。
 いんちき占い師の戯れ言だが、
 「なるほど、そういうこともあり得る」と思った。

 例えば、イチローが野球ではなく
 他のスポーツをしていたら? 
 ヨーヨー・マがチェロと出会ってなかったら?
 その道で一流をきわめた人だって
 その道に出会わなければ大成することは
 あり得ないわけだ。

 生徒にもよくこの話をする。
 自分が何者かになるためには、
 何かに出会わなければならない。
 それはどんなものだか分からない。
 だから、出会うために
 間口は拡げておいた方がいいと。
 でも、この世界には、
 いろんな可能性を試したくても
 試せない若者がたくさんいる。

 一番顕著なのは経済的不自由さであろう。
 日本でもやっと最近経済格差が
 問題にされるようになったが
 私も、「バス代がないから学校に来られない」という
 生徒に出会ったことがある。
 彼女は高校卒業後、
 希望していた製菓会社に就職したが
 不況のため勤務店舗が閉鎖され、
 遠い店舗への異動を言い渡されたが
 通勤方法がないという理由でやめてしまった。
 高校現場にいると、そういう切ない実情を
 イヤと言うほど見せつけられる。

 この映画に出て来る青年、マイケル・オアーは
 私が出会った生徒たち以上に貧困に
 閉じ込められて少年時代を過ごした。
 そんな彼が、
 富裕層の女性リー・アン・テューイとの出会いにより
 大きなサクセスを掴んでいく。
 ・・・と書いてしまったら
 なんて陳腐な話なんだ、と思ってしまう。

 正直、私も見に行くまで、「そういうノリ」だった。 
 しかし、見終わって感じたのは、全く違う感覚だった。

 他人から見て「慈善」と呼ばれる行為をすることは
 結構居心地が悪いのではないだろうか。
 「偉いわね」とか「余裕があるからできるのね」などと言う
 反応に悪意なんて無いのだろうけど
 「本当はそんなんじゃないのに・・・」という思いが
 たちはだかる。

 がんばる理由は、さまざまだ。
 でも、やはり大きな原動力になるのは
 大切に感じる誰か、だろう。
 家族だったり、友人だったり、
 それこそ人それぞれなのだろうけれど
 例えば、寒空の下を薄着で歩いている
 家のない青年が、そのかけがえのない誰かに
 思えることもあるのだ。
 そんな人間もいるのだ。

 アカデミーの授賞式での
 サンドラ・ブロックのスピーチは
 ユーモアに溢れていて
 それでいていかなる偏見も越えろと教えてくれた
 母親に対する感謝の想いに溢れた素敵なものだったが
 中でも、血がつながっているいないに関係なく
 自分の子どもたちに愛情を注いでいる
 全ての母親に対する賛辞の言葉は胸を打った。
 
 リー・アンがマイケルに手を差し伸べたのは
 言葉では尽くせぬ深い想いからだと思う。
 同情とか、哀憫とか、慈善とか、
 そんな言葉では説明のつかない深い想い。
 そんな気持ちを抱けるリー・アンは
 本当に素敵だと思う。
 でもそれ以上に素敵だと感じたのは
 彼女の家族だ。
 気が強くて、思い立ったら必ずやり遂げる
 そんなありのままのリー・アンを
 そのまま抱きとめる良人ショーン。
 マイケルを本当の兄のように慕い、
 フットボールのコーチ的な役割も務める
 天真爛漫のS.J。
 そしてマイケルと同級生で、
 友人からはあらぬ中傷を受けているだろうに
 「馬鹿みたいなことよ」と言ってのけるコリンズ。
 家族の中に他人が入ってくるのだから
 それなりの軋轢があり、それを乗り越えて
 さらに絆が深まる、と
 ドラマならば描かれるところだろうが
 実話としてのこの家族のリアリティは
 なんともいえないちからを持っている。
 このゆるぎない家族の根底には
 本当に豊かな愛情が流れているのだろうと
 問答無用で感じさせるちからがある。

 わたしがいちばん好きだったシーンは
 マイケルがS.Jを乗せているときに
 自動車事故を起こしてしまった後に
 駆けつけたリー・アンが、
 本当に掛け値なく、ふたりを同等に心配する様子。
 マイケルを責めることなく
 「事故はあなたの責任じゃない」と言い切る姿勢は
 「そうしなければならない」というような
 恣意的な意識などまったくない
 本気の、むき出しの愛情が感じられた。
 こんな愛情を誰かが注いでくれたならば
 人は育ちなおせるのだろう。

 いや、これはまた陳腐な物言いだ。
 リー・アンに言わせれば
 「変えてもらったのは私のほう」なのだ。
 人と人との関係は決して一方的ではない。
 互いの関わりが、幾様にも変化をくれるのだ。

 アカデミーの作品賞候補を三本観たが、
 一番好きなのはこれ。
 でも、いちばんシーンが目に焼きつき
 フラッシュバックを起こしそうなほど
 忘れがたいのは
 『ハート・ロッカー』。
 そして、誰かにどれを観るべきか聞かれたら
 薦めるのは『アバター』かな。
 (誰が見たってそれなりに楽しめる)

 でも、いちばん楽しみにしてるのは
 『プレシャス』なり。
  
 

April 03, 2010

ハートロッカー(ネタバレバリバリ)

 
 人は何故映画を観るのだろうか。
 
 『ハートロッカー』を見始めて数分、
 私は「何でこんなもの観に来たんだろう・・・」と
 思い始めていた。

 とにかく恐い。
 花火が打ち上がるたびにびくびくと体が動いてしまい
 隣にいる人に笑われてしまうほどびびりな私。
 気付くと、スカーフを握りしめて硬直。
 
 イラクで戦死した兵士のうち半数はテロによる爆弾が原因で
 それを処理する爆弾処理班の技術兵の死亡率は
 他の兵士の5倍だそうだ。
 もっともそんな蘊蓄は、帰ってきて開いた
 『ハートロッカー』のWebSiteで仕入れたもの。
 何も知らずに見ている私は、そんなデータなんぞ関係なく
 目の前で起こっている(ように感じる)爆弾処理の中で
 いつ事故が起きるのか、この中の誰が傷ついてしまうのか
 本当に鼓動が収まらなくて、苦しかった。

 とにかく臨場感が凄まじい。
 砂は目に入るのではないかと思うほどだし
 銃撃の音や人の動く音が恐怖をかき立てる。
 (映画館のサラウンドに思わず振り返ってしまった(爆))
 すさまじいリアリズムで、迫ってきて、
 ドキュメンタリーにしか思えなくなってくる。

 爆弾処理班の班長のジェームズ二等軍曹の
 命を顧みないめちゃくちゃぶりと、
 命をかけて人を助けようとする行動のアンバランスさの
 何とも言えない「リアル」。
 自分や仲間の命を守るための規則やシステムを
 ないがしろにするくせに、
 爆弾人間に仕立てられた少年を爆破できず
 処理して遺体を運び出したり、
 その少年が何故そうなったのか調べようと
 バクダット市街に飛び出して行ったり、
 爆弾を取り付けられた男を救おうと
 ぎりぎりまで処理をしたり。
 
 こうやって、彼の行動を書き立てると
 なんとも心の温かな責任感溢れるヒーローである。
 しかし、これはそんな「画に描いた兵士」の話ではない。
 人間爆弾にされたと思った
 彼が親しくなったDVD売りの少年は実は別人。
 元気な少年と再会して
 自分の勘違いに気付いたジェームズは
 苦虫を噛みつぶしたような表情を見せる。
 それは、滑稽と言うよりも、切なくなる表情だ。
 少年への真の愛情から行動したのであれば
 生きていた少年に会って感じるのは
 喜び以外にないのではないか。
 彼はその少年のために
 自分の命をかけて行動したのだから。
 彼の行動は、純粋に少年を愛していたからではなく、
 誰かのため、の方が、
 「爆弾を処理する」という彼が唯一愛してやまないことを
 よりドラマティックにヒロイックに演出してくれるからだ。
 
 この映画は「War is Drug」という言葉から始まる。
 自分の命をかけて、何かを成し遂げるという
 カタルシスを求める男は結構いる。
 酒を呑んでレクリエーションのように殴り合うシーンは
 闘争本能と呼ばれるものが彼らにとって
 大切なのだと感じさせるメッセージである。
 しかし、キャスリン・ビグロ-はそれを肯定しているのだろうか。
 私にはそうは思えない。
 ジェームズ二等軍曹が戦場に戻る姿は
 称賛に値するようにはとても見えない。
 それは『K-19』で原子炉に向かう兵士の姿とは
 明らかに違う。

 戦争という麻薬に侵されてしまう切なさ。
 通常の麻薬のように全面否定、どころか
 称賛させ与えられてしまうことのある
 その中毒性の強いドラッグの恐ろしさ。
 そこに身を浸してしまうのは、
 個人の責任では、決してない。

 アカデミーの授賞式での、
 作品賞受賞の際のスピーチで
 「今も戦っている米軍の兵士達に捧げます」
 と言ってた言葉は、本心からだと思う。
 でも、そこには言葉以上の思いが
 溢れているのではないだろうか。
 
 これは決してヒーローの物語ではない。
 全世界で戦っている米兵達は
 決してヒーローではない。
 リアルに描き出されるその現状こそが
 戦争というものを痛烈に批判しているのだと思う。

 人は何故映画を観るのか。
 それは、心を鷲掴みにしてくれるものを
 求めているから。

 恐くてしかたなかったけれど、
 甲子園の決勝以上に心は鷲掴みにされました。
 
 
  

 
 
 
 
 

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雅俗共賞〜最近観た映画〜

  • 真珠の耳飾りの少女
    :
    光の変化を感じ取るものと、そうでないもの。それを人々は「芸術を解するか否か」と表現するのだけど要は感性の問題。美とか快とかいうものの一致こそが人を理解する根本を成すのだと思った。映像がもの凄くきれい。 (★★★)

音吐朗朗〜最近聴く音楽〜

  • 雪月花
    YUMING: WINGS OF WINTER,SHADES OF SUMMER 
     時に、出会いは偶然。4年も前に発売されたこのアルバムを、今日、このタイミングで初めて聴いたのも、偶然。十代の頃から、ユーミンの曲の「やさしさに包まれ」て、歌詞の鋭さに突かれて、何度も窮地を切り抜けてきた。今回も、きっと背中を押してくれるね。どんな状態になっても、私らしく、凛といること。そうきっと「悲しみにも時は流れ 海へと注いでいく」のだから。 (★★★★★)
  • 『愛と欲望の日々』&『Lonely Woman』
    サザンオールスターズ:
    『大奥』のようなドラマを軽やかにするのはサザンしかいないのかも。女の情念なんてハレルヤ!ってなもんかな。きらびやかなジャパネスク調のサザン(世は万葉あたりね)、実はかなり好き(^-^)『Lonely Woman』は秋冬のサザン。実はサザンは全天候型なのよ(笑)(桑田さんは雨男だけど) (★★★★)
  • 乙女ノックアウトナイト
    比屋定 篤子: ひやじょう
    久々発売の4thアルバムのお気に入りの曲。もう大分前からライヴでは歌われていたけど、毎回このテンポにくらくらでした(^-^)レコード会社の人からこの題名は・・・と言われたらしいけど、この題名あってこそ、だと思う。オザケンの『東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディーブロー』を思わせますです。 (★★★★)
  • ミモザ
    ゴスペラーズ:
    最近、どれを聴いても同じに聴こえる(爆)新しい刺激が欲しいよぉ。でも、サビの黒ポンの声は良いね。あとCMの唐沢くんもね。 (★★)

錦心繍口〜最近読んだ本〜

  • J・K・ローリング: ハリーポッターと秘密の部屋
    ハリーポッターシリーズは、話題になってすぐに1作目を読んだのだけど、正直、あまり興味が持てず、そのままにしておいた。が、最近、生徒と面接の練習をしている時に「教育学部に行きたいと思ったのは、ハリーポッターシリーズのダンブルドア校長先生の影響があります」というのを聞いて、改めて読んでみようと思った。この巻でも、自分がスリザリンと関係深いのではないかと悩むハリーに、「大切なのは、どう生まれたではなく、何を選ぶかだ」と助言するところがいちばん心に染みた。なるほど、教育指南書として読むハリーポッターもありだな、とシリーズ読破を試みている。それにしてもロックハートは、ひどすぎる教師だ(笑)
  • 竹田 青嗣: 「自分」を生きるための思想入門
    思想とは、社会的には人間に「正しいこと」を教えるものではなく、社会の中で絶えず「より合理的な関係」を作り出していくための“技術”であり、実存的には、個々の人間が、自分の生全体から「より大きいエロス(生きる喜び)」を引き出すための有効な“技術”であるという主張には、目から鱗が落ちた。自分が目指す生き方のために、様々な思想家の思想をどう理解し、どう選び取るか。哲学とはかくも実用的なのかと感動した。さて、私は、何をえらべばいいのか。それこそ、自分でしか決められない実存的問題なのである。 (★★★★)
  • 鈴木 真砂女 ・黛 まどか : 恋がすべて
    新旧女流俳人対談集。鈴木 真砂女という名前は知っていたが、こんなにも壮絶な恋をした人だったとは・・・その激しさと、強さと、美しさに号泣。魂が惹かれあうというのは、きっとこういうことを言うのだろうな。そんな巡り会いがひとつあれば、人はしあわせなのだと思う。黛さんも、そういう恋が出来るといいですね(笑) (★★★★)
  • 小谷野 敦: モテない男
    ものすごく面白くて、旅行中に二日で読み終えて、友人に押し付けてきた(笑)「恨み言」的な体裁を取りながら、しっかり分析されているところが流石。「恋愛はしなくても生きていける」と提唱したいけど出来ないジレンマが面白かった。(なんて言ったら怒られるかも)私はやっぱり本居宣長派の恋愛至上主義です(^^; (★★★★)
  • 養老 孟司: バカの壁
    今更ですが(笑)これって、ベストセラーなんだよね?一昨年、日本でいちばん読まれた作品なんだよね?こういう「もっともなこと」の溢れた本がそんなに売れてるのに、こんなにどうしようもない社会なのは何故なんだろう?(^^;「個性」についての考え方など、とてもわかりやすくて的確だと思いました。 (★★★★)
  • 瀬尾 まいこ: 図書館の神様
    文学音痴のでもしか国語教師が主人公。結構いるんだよね、実は(爆)私、もの凄く苦手なんだけど(爆)でも、まぁ、現代的には響きやすい話なのかもしれない。これをきっかけに漱石や周五郎を読む人が出れば、それはそれで良いのでしょう(^^; (★★★)
  • 小谷野 敦: 性と愛の日本語講座
    近現代文学における性愛に関係する言葉を、まじめに調べた一冊。下世話に思える言葉であろうと、いくつもの出典に当たって読み解いて行く作業はまさに国文学。大学でやってたことを思い出して楽しかった(^-^) (★★★★)

気韻生動〜最近観た舞台〜

  • Dr.TV
    福澤一座:
    福澤一座の第二回公演。言葉とテレビにこだわったこの作品群は、これからも小さなエピソードを繋いでいく形なのかな?正直言って、去年の方が面白かったなぁ(^-^;)しかし、森圭介アナはやっぱり好み(^^;一瞬「畑中くん?」と思う部分があって、やっぱり好きなタイプが似ていることが判明。結局ショタコンか(爆) (★★★)
  • SHIROH
    劇団☆新感線:
    歌うような台詞、とよく言うが、歌がきちんと台詞になっていることに感動。上川さんはとても歌が上手いと言う訳ではないのだが、すごくまっすぐに体に染みてくるのだ。『マイ・フェア・レディ』の レックス・ハリスンみたい。もう一人のシロウ、中川くんはもの凄く歌がうまかった。そして、ロック。それから迫力の群舞。すごい。少しは見習え<『クラ○ディア』(爆) (★★★★)
  • 『スキップ』
    演劇集団キャラメルボックス: タイムトラベルシアターVol.1
    都合三回鑑賞。一度目は現在の自分に重ね合わせて観てしまって号泣。二度目は少し冷静になり、自分が頭の中でだいぶ補って見ていること気付く。それでも、告白されると泣いてしまう(;_;)3度目の千秋楽は、坂口さんの熱演にまた引き込まれ、クライマックスでやっぱり涙を禁じ得ない。とにかくさわやかに泣けた。演劇としての構成の問題などはあるのだろうけど、小説も含めて十二分に『スキップ』の世界を堪能できたことに感謝。 (★★★★)
  • 沖縄ラーメンズライヴ
    ラーメンズ:
    『沖縄ラーメンズライヴ  サーターアンダギーは見かけのシンプルさの割に名前が長過ぎ  A&Wは貴方と私の略。  ラーメンズにとって沖縄が楽園になるかどうかは客次第』 やっぱり頭の良い人の考えることは面白い。 (★★★★)
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