それからのブンとフン
混沌の青山劇場をあとに、天王洲の銀河劇場に向かう。
つかさんと同じく昭和を代表する戯曲家井上ひさしの
音楽劇『それからのブンとフン』。
ひたすら自分の信念だけに従って書くのだから、
自分の書くものなど売れるはずがないと豪語する小説家、
憤先生の生み出したこの世に不可能はない四次元人間の怪盗ブン。
男でもなく女でもない、何にだってなりうるブンが、
小説の世界を飛び出して、ありとあらゆるものを盗み出す、という空想物語に、
舞台下手にしつらえたグランドピアノを中心に流れ出す音楽が添えられるのだから、
青山劇場とは真逆のなんともファンタジックな劇空間が広がる。
が、休憩後にの第二幕で、急に二つの世界がシンクロする。
♪いやなやつからいやなところを
悪いやつから悪いところを
気高い方から気高いところを
ぶった方からぶったところを
盗みましょう、と歌うブンが目指す世界は、
桂木純一郎たちが目指していた平等な社会に似ていて、
実際、全共闘ならぬ全ブン闘も、ヘルメットとヤッケ姿で登場。
アナーキーな行動が弾圧されるのは、ここでも一緒で、
ブンは国家権力に追われる身となる。
(もっとも、そもそも泥棒なのだから当然だが)
しかし、ブンは万能四次元人間、警察などの歯が立つ相手ではない。
しかし、生みの親である憤先生を人質に取られて禁固三百年余りの刑を受けるが、これまた発想の転換で社会を変革して逃げてしまう。
暴力でしか自らを表現できず、結局暴力に弾圧されていった全共闘の物語のあとの、
荒唐無稽ではあるけれども、体制をこともなくやり込めていく物語は爽快だ。
沖縄に住み、ずっと体制と対峙してきて、
恒常的な問題を解決する術が全く見えない閉塞感の中で観る
ブンとフンの物語は、実に示唆的だ。
牢屋を抜け出したブンたちが集う世界ブン大会。
ブンは刷られた本の数だけ、それぞれに好きな姿で抜け出しているのだから、
同じ人物でありながら、見た目だけでなく人格まで様々なブン達がいる。
中でも、各国の言葉に翻訳されたブンたちは、それぞれのお国事情により
憤先生が生み出したのとはテイストをことにする人物に成り果てている。
盗むものが黄金や宝石から野菜や果物に変わるのは序の口、
都合の悪い場所は伏字にされ、アナーキズムな思想は根こそぎ排除されている。
そこから抜け出したブンたちは、憤先生オリジナルのブンたちと敵対する。
表現の自由がいかに大切か、
あるいは自由に表現できないということがどれだけ事実を歪めていくのかを
ドタバタ劇の中であるにも関わらず、そのメッセージは実に鮮明だ。
特定秘密保護法案が強行に制定されようとしている今、
ト連や丹国のブンの追従は生身の恐怖さえ感じる。
また、偽ブンの出現から急展開を見せるところは、
ネット社会でのなりすましなどの問題にも重ねて感じられた。
『飛龍伝』も、この『それからのブンとフン』も、舞台となる時代は古い。
しかし、扱われている問題はじつに現代的だし、
2013年の今だからこそ戦慄を覚えるようなトピックも多い。
二人の劇作家の、時代を超えて存在し続ける課題を描く手腕に
感嘆せざる得ない。
これが、ホンモノというものなのだろう。
どちらも偶然に見ることになる作品であったが、
実に鮮烈な観劇体験であった。

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