『水平線の歩き方』演劇集団キャラメルボックス #caramel box
初演は三年前。
その時も気持ちよく泣けた。
そういう作品を見る時は、とても身構えてしまう(^^;;
自分の感受性が渇いていないか、試されてる気がするから。
でも始まって数分、そんな気持ちは吹き飛ばされた。
それは、この作品に溢れる親和感ゆえだろう。
そして、それを発しているのは、間違いなく
岡田さつき演じるところのアサミの母性だ。
『塔の上のラプンツェル』、『ブラックスワン』と観てくると、
母というものの重さと罪深さを体感せざるを得ない。
その影響力と、支配性ゆえに、多くの娘は息絶え絶えだ。
それなのに息子の視点からだと、母とは、なんとも大きく、あたたかな存在なのだ。
素直に母を慕いえる男には、なんとも言えない魅力を感じてしまう(^^;;
それは、そうさせる母の存在の偉大さ故だ。
アサミは、まさしくそうしたグレートマザー。
ベタな洒落も、だらだらとお菓子を食べ続ける仕草も、
息子の行動をやたら不幸な方向に予想しちゃうメロドラマ好きな傾向も、
全て、気負わない、自然でおおらかなこの母のあり方が、
実直なまでにラグビーに向かって行く幸一という青年を育んだ要因なのだ。
たった12年間だったとしても。
いや、12年間だったからこそ、かもしれない。
12歳で、この大切な母を亡くしてしまったからこそ、
幸一は、その大きな穴を埋めるべく、
一人で走るラグビーを続けざる得なかったのだ。
あの震災を経験した今、
ある日突然、大切な人を奪われてしまった喪失感を抱えて、
生きるということの重みを、ひしひしと感じる。
家族を全て亡くし、
仕事も家もなくしてしまった時、
人は、なんのために生きるのか。
先日、姜尚中氏の講演会で、話されたこの命題を思い出す。
かくとした理由など無い。
理由などなくとも、それでも生きていかなければならない。
それが生きるということなんだと言われた時、
人の生の愛おしさを、しみじみと感じた。
理由があるから、生きるのでは無い。
生きて行くことで、理由が生じるのだ。
生きる中で、つながりが生まれ、それが生きる理由になって行く。
この物語は、そういうことを、三年前に教えてくれていた。
そして、今、また、それを噛みしめる。
今、きちんと生きる。
それが、私にできる最大のことだ。

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