志の輔落語@キジムナーフェスタ
高校の時の芸術鑑賞で生を聞いてから
秘かに落語ファンだったりする。
飛行機での愛聴チャンネルは、
もちろん落語チャンネル。
米朝師匠の古典が好きで、
枝雀さんも大好きだった。
基本、上方好みなのだけど、
最近は江戸前もよく聞く。
で、志の輔さん。
よく沖縄に来てくれているので、
一度行きたいと思っていたのだが、
なかなか予定が合わず
やっとやっとの初体験だった。
お弟子さんによる「つる」と
「道具屋」の前座の後、
真打ち登場。
藤木勇人さんから貰ったと言う芭蕉の着物が
金屏風に溶け込む(笑)志の輔さんだ。
「落語というのは引き取る芸なのだ」という
枕には、実に示唆的なことばが多くあった。
落語は、決して演じるものではない。
女房だからといって、子どもだからといって、
それらしくする必要はあまりない。
ひとりの噺家が語っているということを
前提に聞きにきているお客さんたちは、
役と役との「間(ま)」を感じ取って
ちゃんと想像を膨らませてくれる。
しかし、生まれたときから
カラーテレビがある子どもには
イマジネーションを要求するのは酷だ。
しかし、それをどうにかしようと、
もともと数少ない子どもたちを
なんとか利口にしようと
文部科学省が頑張っているのだけど、
あんまり上手く行ってない・・・
と言う話から始まった『親の顔』
前にテレビかラジオで聞いたことがあって
面白いなぁ、と思ったのだが、
生だとまた格別。
この話に出てくるきんたくんは、
実に優しいし、
よく考えている子どもだと思う。
考える方向性だけ与えてあげれば
とても利口な子どもになると思うのだけど・・・
もちろん、落語の世界なので、
バカなまま終わってしまうのだが(笑)
まぁ、 志の輔さんが言う通り、
バカと利口は紙一重。
「東大出の利口ばかり集まってるはずの
お役人さんたちが、
とんでもないことばっかり
やってんだから、東大出ってのは
ひとりだと利口だけど、
集まるとバカになる傾向がある」と
時事ネタも交えつつ
「斜に観る」落語家の性質についても
語ってくれた。
世の中のこと、皮肉ってみるヤツが
いくらかいるのもいいじゃないか。
別に、それで社会を変えようなんて
ご大層なことは無い。
ただ、おかしいんじゃない、って言うヤツが
いるのは健全だ、ということ。
ここ二日、偉い人たちに振り回された挙げ句、
昨日は10時まで仕事、
今日も出勤して、あまつさえ、
心の部分にまで踏み込まれて、
不覚にも久々にぼろぼろ泣いてしまって、
それで時間を取られたせいもあって
スピード違反で捕まって
ぼろぼろだったので、かなりすっきりした。
自分の気持ちを、言えるだけでも
マシなのかもしれない。
こんな世の中では。
中入りの後は「紺屋高雄」。
大好きな話だ。
『花宵道中』を読んでから、
吉原噺は正直辛いのだけど
大ハッピーエンドのこの噺なら、
夢物語だから大丈夫。
でも、久兵衛の告白の場面では
ぼろぼろ泣いてしまった。
午前中のせいで、
涙腺が緩んでたのもあったけど
あまりにも切なくて、愛しくて。
『親の顔』では、教育問題をついた
志の輔さんだったが、
この話では「格差社会」について
問いかけたのではないかと思った。
好きな女が出来ても、
お金がないために諦めなければならない青年。
思いをよせられる女の方だって、
またお金やしきたりに縛られている。
だけど、そんな彼らは、
「まっすぐな思い」だけを武器に
最後に軽々とそんな縛りを越えて行く。
実際の問題が精神論で済まされないのは
もちろんなのだけど、お噺だから、
あってもいいのだ。
笑って、泣いて、思い切り感情を解き放して
本当に癒されて帰ってきた。
なんと11月にも来沖してくれるのだとか。
金曜日だけど、絶対に行く。
昨日みたいに、急に友人の結婚式に
出席できなくなるような仕事は、
2学期から絶対しない、と誓うのであった(^^;;
« 狂言なんかこわくない@キジムナーフェスタ | Main | 偶然の再会 »
The comments to this entry are closed.

Comments