朧の森に棲む鬼@新橋演舞場
劇団☆新感線がらみの作品を観るのは
『天保12年のシェイクスピア』、
『SHIROH』に続いて3作目だが、
いわゆる「いのうえ歌舞伎」は初体験。
台詞の合間に入る拍子木心地よさ、
見得に代表される大きな動きの優雅さ、
おなかに響く大音量のヘビメタロック、
花道を駆け抜ける疾走感。。。癖になりそう(^^;;;
公式サイトにあるとおり、
この作品の染五郎さんは、「掛け値なしの悪い男」。
しかし、染五郎演じるライは、
ものすごい腕力で人をねじ伏せるとか、
権力や金で全てを支配するという「悪」ではない。
ありとあらゆる嘘を生み出す、赤い舌だけで
ライは、「極み」に登りつめる。
そう、この話は、『Lord of the Lies』、
その名も「嘘(Lie)の物語」なのである。
累々と横たわる屍を踏んで朧の森にたどり着いたライに、魔物たちが言う。
「お前の望みはなんだ?
かなえてやろうじゃないか。それにふさわしい男の望みなら」
そうして、ライは、自分の舌の動く速さで斬りつけることの出来る
「オボロの剣」を手に入れる。
ライが瞬時に嘘を仕立て上げる毎に、
「オボロの剣」はその俊敏さを増す。
そうして「腕っ節」も手に入れたライは、
見事に織り成される真っ赤なシナリオを撒き散らし
高みを目指し続けるのである。
前半は、ライの嘘の小気味よさと、
それがことごとく現実になっていくことに
共犯者のようなワクワク感と下克上の興奮を憶えた。
阿部サダヲ演じるライの弟分キンタの
突き抜けるような馬鹿加減も愛しいし、
古田新太のマダラは野太くたくましく、
粟根まことさん演じるメガネにジグザグ頭のウラベは
相変わらずカッコイヤラシい(笑)
女将軍ツナさま(秋山菜津子)の凛々し色っぽさや
若き女兵士シュテン(真木よう子)の妖しかっこよさ
にもドキドキ。
高田聖子演じるシキブのはじけぶりも見事で、
数少ない女性陣はみんな個性的で美しかった(^-^)
キャラクターはそれぞれ役者らしさが炸裂で、
際立って、魅せてくれる。
軽快なギャグも冴え、実に「楽しい舞台」だった。
しかし、後半、その軽快さが徐々に息苦しくなる。
村の仲間をハメつづけて、居場所を失くして
さまよっていたライ。
人を裏切り、斬り捨て、のしあがる度に
生きていくのに必死だったひたむきさは消え、
ゲームのように人の心を弄び、踏みつけにする
傲慢さと残酷さが浮かび上がる。
生きるためなら、どんなことでも許されるのか、というのは
『羅生門』でも問われ、毎年生徒とともに考える命題だ。
生活に追われる現実に照らし合わせるほどに
答えの出ない「黒洞々たる闇」に吸い込まれる気がする。
しかし、それは、自分の命と、人の命を量りにかけて
思い悩むあまりにたどり着けないジレンマだ。
最初、オボロに望みを聞かれたとき
「明日生き抜ければそれでいい、
欲しいものなんてない」と言い切っていたライ。
オボロに嗾され、自分で自分を殺す時、
命をオボロに捧げることと引き換えに、
王の座を望む。
口先三寸で人生のコマを快調に進めるうちに、
生きることそのものではなく、
ただ成功ゲームを楽しむようになったライに、
私は、恐怖よりも切なさを感じた。
「お前だけは裏切らねぇよ」と言い続けてきた
キンタを陥れた時、その思いは頂点に達した。
貧賤の知であり、ずっと自分を慕い続けた弟分を
冷たく斬り捨てるライ。
光を奪われた上に、実はずっと前から、
ライに騙されていたことを知ったキンタの嘆き。
また、「俺のことを恨んでいる女こそ、
いちばん俺を思っている女だ。
もっと憎め、恨め」とツナに迫るライの言葉には
胸が締め付けられるようだった。
ライが欲しかったものは、なんなのか。
「明日生きていられればそれでいい」 のは本心だったはずだ。
オボロに「望みを叶えるにふさわしい男」と判断された故に
血塗られた道を駆け抜けることになった運命を、
ライはどう受け止めたのだろうか。
オボロがライを焚き付けたのは、何故なのか。
ライの赤い舌が染め上げる
どんな世界を望んだのか。
人は誰でも心に鬼を飼っている。
その鬼を育てる環境を得ると、
驚くほどに鬼は成長を始める。
全く鬼の棲まぬ心は味気ないし
育てすぎると、獅子身中の「鬼」に
喰われかねない。
自分の心の鬼との共存。
そのためにはまず、自分の真の望みを
見失わないことではないか。
劇場中を煙らせるように飛沫をあげる
舞台上の大滝に打たれて、
少し育ち気味だった私の心の鬼が
ダイエットした、そんな気分だった。
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